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──前作『マニフェスト』から僅か1年。RHYMESTER史上最速スパンでのニュー・アルバムとなりましたが、今回特に何かキッカケが?
Mummy-D:『マニフェスト』が完成したあたりから、もうそういうムードだったんですよ。ポンポン行こうって。
宇多丸:いい空気だったからね。いい風が吹いている時は、いい風に乗って行ける所まで行った方がいい。そんな感じですかね。
──これまでのアルバムの作風とはどんな違いが?
Mummy-D:これまでは、その時期の総括と言うか、その時のRHYMESTERの全ての面を揃えて出すのがアルバムだと思っていたんだけど、今回は“RHYMESTERの全ては入っていない”と言う、そういうカッコイイ出し方が初めて出来た作品ですね(笑)。
宇多丸:いつもだったら取らないバランスと言うか、1から10まで揃わなくても、例えば奇数だけとか、そんなバランスでもいいじゃないって。それによって、開拓できた面もたくさんあったらから、本当にやってみて良かったなと思いますね。
──大ヒット・アルバム『マニフェスト』が直前にあったわけですが、そのあたりは意識した?
Mummy-D:モチベーション的にはすごい上がってて、『マニフェスト』の勢いのまま行こうという意識はあったけど、作品として、あれの上を行こうとか下を行こうとか、そういうのは全然なかったですね。
宇多丸:『マニフェスト』自体が、ドラマチックで大仰感のある作品だったから、その上を行こうなんて考えちゃったら、また、ものすごい大作になっちゃうんで。今回は、そういう感じじゃなくて、肩の力を抜いて行こうと。
──アルバム制作としては、どんな所が出発点となったのですか?前回のインタビュー時に、楽曲を作る際は、お酒を飲みながら、みなさんが考えている事を出し合い、議論の中からテーマを突き詰めていくと伺いましたが、今回も“飲み”からのスタートだったのでしょうか?
宇多丸:最初に飲んだ時に出て来た話題が、ほとんど曲になってますね。
Mummy-D:ひとことで言うと“気分”という事になると思うんだけど。いま俺らが何を良しとしてて、何を良くないとしているか。世の中のこういう部分は気になるけど、でも、こういうイイ習慣もあるとか。かなり肯定したい気分というのもあって。まだその時点では、きちんと言葉で説明できないモヤモヤしたイメージみたいなものだったんだけど。
宇多丸:その後、実際に制作を進めていく中で、あのモヤモヤ言ってたのは、こういうタイトルでこういう内容にしたらどうかとか、こんな曲調が合うんじゃないかとか、俺もMummy-DもDJ JINも色々なアイデアを出して、山ほどトライ・アンド・エラーして、これだ!というのが見つかった時に、じゃあ、これを曲として詰めていこう。そんな進め方でしたね。それで、曲が7割くらいできた時点で、もう1回飲みを入れて、今、何が足りていないのかというのを話し合った。最初の方向決めと、最終まとめに向けた中間の飲みと、この2飲みが大事だったよね(笑)。
──オープニングの「After The Last -Intro」は、前作『マニフェスト』の最終曲「ラストヴァース」をモチーフとしていますが、それは今作が『マニフェスト』で示した物の更にその先である、という事でしょうか?
宇多丸:「ラストヴァース」は、表現者としての究極の覚悟みたいなものを歌った曲なんですよね。ラスト(last=“最後の”)は、“最新の”という意味でもあり、今、一番新しい歌詞を届けたとしても、その次のラストヴァースをまた作り出そうと歌っている。だから、ラストの先って言うのかな。それを示したかったというのはありますね。
Mummy-D:簡単に言うと、前回のハイライト・シーンからどうぞっていう感じです(笑)。
──そこから、「そしてまた歌い出す」へと続いていくわけですが、強い意思表明の曲となりましたね。どんなテーマから生まれた曲だったのでしょうか?
宇多丸:そもそもは、佐野元春さんの“ザ・ソングライターズ”というNHKの番組に出させていただいた事がキッカケで。前にその番組のゲストだったASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤(正文)さんが、“今の時代は、情報量という意味で、歌はラップに負けちゃうんじゃないか”とおっしゃっていたという話があって。そこで僕らは逆に、ラップは情報量が多いから、蛇足に蛇足を重ねるみたいな所もあるので、一長一短なんですけどね、みたいに答えたんですが。その後Dと話していて、でも確かに“時代に相応しい歌”というのはあるんだろうね、とか、表現のあり方みたいな方向に話が進んで。例えば、悲惨な事件・事故があったりすると、こんな時に歌を歌うなんて不謹慎だ、歌なんか歌ってる場合じゃないだろ!っていう空気があるでしょう。だけど、世界が悲惨に満ちているから、歌とかお笑いとかが必要とされて生まれてきたわけで、そういう時こそ、“歌ってる場合ですよ”なんじゃないの?俺はそう思うんだみたいな事を言ってて、それがそのまま歌詞になってるんですけど。
──その想いを1曲目に持ってきた?
宇多丸:結果的にそうなったんだけど、実はこの歌詞は、元々は8曲目の「POP LIFE」のトラックに乗せてたものだったんですよ。Mummy-Dが、こっちのトラックの方が合うんじゃないかと言いだして移動したんです。俺としては、もうちょっとクライマックス寄りのシーンで言うべきメッセージだと思っていたんだけど、Mummy-Dは、いやこれは絶対にオープニング・シーンだって。
Mummy-D:クライマックスとオープニングって言うのは、意外と取り換えられたりするんですよね。
──胸に迫る1曲ですね。先入観として、HIPHOPと言うと、自分の事を喋るものという印象が強くて、例えば“楽曲を堪能する”とか“楽曲に感動する”いうような表現が似つかわしくない感覚があったのですが、「そしてまた歌い出す」には、胸を揺さぶられました。俺は云々ではなく、強い意思表明があり、世の中に対する問題提起があり、聴く者を鼓舞させる感動がある。言葉の力と言うか、言葉の説得力というものに感じ入りました。それは、もちろん、このサウンド感があってのものでもあると思うんですけど。HIPHOPの新たな可能性と言うか、もしかしたら、この表現物は、音楽というジャンルすら超える全く新しいものなのではないか。そんな風にも感じましたが?
Mummy-D:それは、実にうれしいですね。本質をついていると思います。この歌詞は、元々、宇多丸が二人称で書き始めていて、自分の話と言うより、“歌というもの”みたいな捉え方。先人達もそうやってきたんだよなみたいな、ちょっと幽体離脱した状態と言うか。それを俺が2番で“俺も”というように持っていってるんだけど。これは、アルバム全体に関わってくる話なんだけど、HIPHOPってどうしても“俺の話”になるんだよね。LIFEを歌うにしても“俺のHIPHOP LIFE”という風になっちゃう。でも、今回の気分は、“HIPHOP LIFE”じゃなくて“everyday LIFE”“ordinary LIFE”だったんだよね。自分達も普通に生活している一般市民であるわけで、そういう地平から言葉を吐きたかった。今まで、聴き手というものを自分達なりに限定してた所があったんだけど、でも、意外とリスナーの人達は、色んな音楽に対してオープンで、俺らの方が、HIPHOPリスナーとそうでないリスナーみたいに分けてたのかなって考え始めるようになって。everyday peopleからeveryday peopleに向かってものを言いたい。たぶん俺は、HIPHOPでもっと泣いたり笑ったり怒ったり喜んだりしてほしい…毎日の喜怒哀楽をHIPHOPで表現したかったんだろうなって。だから、「そしてまた歌い出す」という曲を、そういう風に受けとめて貰ったという事は、すごくうれしいし、成功したなという実感を得る事ができました。
──続く「Just Do It!」は、一転して、ガラリと雰囲気が変わりますが?
宇多丸:これはもう完全にバカ曲ですよね(笑)。
Mummy-D:「そしてまた歌い出す」で、すっげーイイ事言ってたのにねぇ(笑)。
──やるぞやるぞと言い続けて何もやらない人って、実際にいますものねぇ。
宇多丸:実感的に自分の事なんですけどね。例えば、僕は“宇多丸としてソロ作品を作る”と言いだしてから、もう何年も経つんですけど、完全にその言い訳として、この曲全体が成立してる。やろうと思ってるんだよ、やる気はあるんだよ、でも、やっぱり、やるからにはヘタなもの出せないしさ…とか(笑)。
Mummy-D:これは、毎日の喜怒哀楽の中で、調子こいてる瞬間を切り取った歌ですね(笑)。
──「ランナーズ・ハイ」も、こういう人いるぞって感じですよね?
宇多丸:これは、僕主導で作ったんですけど。やっぱり、カラ元気でも自分を鼓舞しなくちゃいけない時っていうのがあるでしょう。ものすごく忙しくて、ほんとに疲れ切ってるんだけど、後から後から、やる事が出てきて。辛さの中の楽しさ…自分がちょっとヒーロー的なムードになっている時。そういう感じですね。
──「ほとんどビョーキ」は、どんな所から“病気”というテーマが?
宇多丸:これは、DJ JINがたくさんトラックを持ってきた中の1曲なんですけど、サウンドから退廃したカッコ良さみたいなものを感じて。まさにビョーキな感じと言うか。LIFEという漠然としたイメージがあった中で、病気というのは人生に欠かせないテーマだなと思って。人生ずっと健康体なんていう人はいないですよね。常にどこかしら調子悪かったりするでしょう。お腹が痛いのが治ったと思ったら、今日は口内炎ができてるとか。病気が治ったと思ったら、どこか擦りむいて血が出てるとか。
──病気と言うのは、なかなか歌の主題にはなりにくいですよね。
宇多丸:それこそ、それがラップのイイ所って言うか。
Mummy-D:でも、ヘルペスって歌詞に書かないでしょ、フツウ(笑)。
宇多丸:だけど、ヘルペスは絶対に誰にでもできるワケですよね。多くの人が下痢だ便秘だで悩んでいるわけだし。ネガティブになる事を歌って、元気になるっていうのはイイ事でしょ?(笑)
──「ほとんどビョーキ」というタイトルは?
これは、山本晋也監督が80年代によく使ってた言葉なんですけど、僕はこのフレーズが好きで、振り返ってみると、これまでも色んな曲でこのフレーズを使っているんですよね。タイトルにしたのは初めてですけど。このトラックから80年代っぽさも感じたので、80年代ネタでいこうと思って。