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──3rdシングルの「ひとりごと」が発売になります。まず、「ひとりごと」という歌詞の内容は、どういうところから出てきたものですか?
新山:この歌詞はレコーディング日の2〜3日前くらいに、ほぼ出来上がっていたものを見直して、その時になんか「いま、歌いたいこと」とは違うなと思えたので、全部歌詞を変えてみようって思って、書き直したものです。日程的にギリギリだったんですけど、その日のうちに出来た。それがこの歌詞です。
──それは大変でしたね。レコーディングは迫ってくるし。
新山:最初は簡単に言葉も出てこないし、探りながらの作業だったのです。言葉が出てこなくて、ため息ばっかりついていて…。でも、「なんで今自分はため息をついたんだろう」っていう思いから、今度はそのため息から歌詞がスラスラ出てきて、これから私はどんなことを歌っていきたいんだろうとか、これからどういう自分でありたいんだろうって、そういう気持ちが凄く出てきたのです。その心の中の自分に対する問い掛けに対して、「私はこう歌っていきたい」「こうやっていたい」っていう感じで、本当に一問一答しながら歌詞を書いているような感覚でした。
──曲の途中でハーモニカが入りますね。それが、哀愁があってとてもいい感じですけど、ライブではどうされますか?新山さんが吹きますか?
新山:今のところはやらない方向です(笑)。でもやらないと思うけど、ハーモニカホルダーはカッコイイですね。ちょっと練習してみたい気はします(笑)。
──新山さんのこれまでの曲は、歌詞の世界観が学校とか教室だったのが、今回はちょっと違いますね。
新山:そうですね。自分でも全く違う感じで書きました。多分、卒業が近づいているので、そういう気持ちも少し入っているかもしれません。
──卒業といえば、進路は決まりましたか?
新山:色々と考えて、進学はしないで、音楽一本でいくことにしました。
──なるほど。今回の歌詞には、そういう感じが出ているのかもしれませんね。学校生活といういわば安定した昨日から、どうなるか分からない不安定な明日に踏み出していくような、そんな決意が感じられます。
新山:今までは自分のいやだなぁという部分とかを、すぐにでも引き離したくて仕方なかったんですけど、今になってやっと少し、悪い部分とかも全部含めて一人の自分だから、自分の意志とか言葉とかは常に温かく大事に持っていたいなぁ、という思いが芽生えてきました。それが出ていると思います。
──カップリング曲は、奥田民生さんの「イージュー★ライダー」です。これは1996年に発売された大ヒット曲ですね。
新山:はい、しかも私と同い年なんです(笑)。
──歌ってみてどうでしたか?
新山:今までの自分の曲の雰囲気とか、歌った感じとかが明らかに違う曲なので、それらを含めて歌っていて楽しかったです。今の時代の、自分と同い年の人たちにも何か響くような、年代や時代を超えてくる曲だと思います。それを伝えられるように歌いたいと思って、それは表現できたと思います。
──例えば歌詞でも、新山さんが作る歌詞とは作者が見ている視点が違うような感じがしませんか?
新山:そう思います。カバーをさせていただくと、前作も前々作もそうなんですけど、なにかしら発見がありますね。今回は、言葉の使い方で、こんな風に歌を作れるんだっていう驚きがありました。
──前回は新山詩織がバリバリのロックを歌うっていう驚きがありましたけど、今回もこの曲を新山詩織が歌うんだっていう驚きがあります。意外性がある。因みに1996年、平成8年という年は、どういう年かと思ってパソコンを叩くと、ウィキペディアの96年生まれの有名人の中に新山さんが出てきます。2月10日生まれって。
新山:へぇー、そうなんですか(笑)。それは知らなかった。
──因みに同い年の有名人は知っていますか?
新山:うーん、ちょっと思い浮かびません。
──新山さんと同じ年生まれで探しますと、あの「あまちゃん」で大人気だった橋本愛さんが同じです。
新山:あ、そうなんです!私、橋本愛さんが大好きだから嬉しいです。
──因みにネットで、新山さんと顔が似ているという噂もある能年玲奈さんの方が(笑)、お二人より年上です。
新山:そうなんですか。橋本愛さんのほうが年上に見えますね。
──さらにこの年には色々な方がデビューしています。例えばEvery Little Thingさんとか、SPEEDさんがデビューした年です。新山さんは記憶にありますか、「White Love」とか?
新山:記憶にないです。私の記憶は幼稚園の頃に流行ったモーニング娘。さんからですね。
──さらにこの年はアトランタオリンピックがあり、世の中では携帯電話とPHSの普及が加速した年だそうです。
新山:私は物心がついた時に、すでに携帯電話がありましたね。
──現代の若者が最早絶対に手放せない携帯電話ですが、因みに新山さんの携帯デビューはいつですか?
新山:うちの家族では、携帯電話は高校に入ってからと決まっていたので買ってもらえなくて…。中学生の時に、周りのみんなが持っていたのがうらやましかったですね。それで高校一年になる年の誕生日に買ってもらって、それが初携帯で、初メールもその時です。
──でも中学校は、携帯は持ち込み禁止でしょ?
新山:学校のクラスの殆どが携帯を持っていたけど、学校では禁止でした。でも、メアドの交換をしている子がいて、たまに私も聞かれたりもしたけれど、まだ持ってなかったので、悲しかったのを憶えています(笑)。
──昔に比べてそれほどコミュニケーション・ツールが発達しているのに、今の若者がコミュニケーションに苦労するというのも皮肉ですね。結局、携帯電話という便利な道具に追い立てられているのかな?
新山:多分、携帯で便利なのが当たり前になっている分、逆に直接話す機会が減っているのだと思います。
──聞くところによると、携帯電話といいながら、実は若者が使っているのはメールなんですってね。
新山:そうですね。携帯の電話機能は殆ど使いませんね。友達と電話する時は、家の電話が多いです。つまり使うのは殆どメールです。私はそういうところで小マメに出来るタイプではないのですが、メールを送らないと相手が嫌な気分になるんじゃないかと思って、つい送ったりしています。そんな感じだから、時々疲れちゃったりもします。
──今、新山さんはスマホですか?
新山:そうです。でも学校ではガラケーの子も結構います。
──あと聞いたところでは、「既読」という機能があって、これがまた若者を悩ませているとか?
新山:それはLINEですね。自分のメールを相手が読むと「既読」が表示されて、相手が読んだことが分かるという機能です。今はみんなLINEを使っていて、その「既読」の機能があるので、相手が読んだというのが分かる。だから安心するんだと思います。便利だから自分も使っていますけど、そのことをあんまり深く考えたことはないです。
──メールを読んだことが相手にわかるので、返事をしなければいけないという強迫観念にかられることもあるようです。
新山:ああ、それもあるんでしょうね。でも私の場合は「もう寝るから、じゃあ、おやすみ」って切ってしまうことが多い(笑)。
──でも、そういう情況に追い立てられて、スマホ依存症になっていって、その挙句、人格が壊れる場合もあるらしいです。
新山:言われてみると、依存症の人もいるかもしれませんね。まわりを見ると、電車の中でもずっとやっている人もいるし、歩きながらやっている人もいて、これはぶつかる場合もあるので怖いです。しかもメールを送ったのに返事が来ないというそれだけで、頭が回らなくなったり、気持ちが落ち込んじゃったり、特に付き合っている子たちは、そういうのに敏感だろうし…。
──例えばLINEの中で、グループが出来たりするのですか?
新山:そうですね。LINEだったら、そのグループが出来る。自分も使っていますけど、確かに冷静になって考えてみると面倒くさい部分もなくもない。でもそれが一切なくなって、全部直接話し合ったり手紙を書いて送ったりとなると、また、別の悩みが出てくるんじゃないかなぁ?うーん、難しいですね。
──便利になったけど、実は本当のコミュニケーションはとれていないのでは?
新山:そうかもしれませんね。例えばメールだと相手の顔が見えない。自分を伝えようとどんなに顔文字を使っても、それは表現しきれないし、その時の感情にあった顔文字はないという場合が多いですね。そういう時は、「直接、顔を見て話せたらいいのに」って、思うこともあります。
──顔が見えないから、無意識のうちに、刃のようなキツイ言葉を投げつけるということもある?
新山:直接話せば声のトーンとかもあるけど、それも一切無く、ただ短い言葉で伝えるというのが難しいんですね。それで私はたまに友達に手紙を書いて送ることがあるんですが、返事を貰うとすごく嬉しいです。手紙だと、色々と書けるので、気持ちが伝わりやすい。そういうのが、今は少なくなっているのかもしれませんね。でも実はメールで話していることって、意外に些細なことばっかりなんですよ。
──そこは客観的に、引いて見ている自分がいる?
新山:自分もその中にはいるけど、たまにそんな自分を眺めている自分がいます。ただ自分はいい友だちが沢山いるので、そこで気苦労もないし、恵まれていると思います。でも学校の中でも学校以外でも、声高に誰かが好きとか嫌いとか夢中になって話しているのを聴いていると、それ意外に考えることはないのかなって思ったりもします。
──そんな学校生活にある、ある種の生き難さをテーマにしてきた新山さんですが、いよいよその学校を卒業になりますね。それを踏まえて、最後に、これからの抱負をお願い致します。
新山:今回の作品は、確かに学校がテーマではないし、実際に自分にも卒業が迫ってきて、あともう少しで学生生活もなくなります。でもその真っ最中にいる本人としては、例えば卒業式に自分がどんな顔をしているか全く想像がつきません。色々思い出すと、中学の時と比べて高校は、今になってみれば楽しかったなぁと感じる自分がいます。今さらかっていう感じもありますけど、この前もスケジュール表を書き込んでいて、卒業式の日に丸をつけたら、もうすぐだなぁって、なんとなく寂しい気持ちにもなりました。この先、もっと先に例えば二十歳の私って、どんな顔しているんでしょうか?全く想像がつきません(笑)。でも今は、自分としては前向きに進んでいる、そんな毎日だと思います。
【Biography】
小学生の頃から、父親の影響で、70年〜80年代のブルース・パンク・ロックを中心とした洋楽・邦楽を聴いて育つ。
ピアノを習っていたのだが、中学入学と同時に軽音楽部に所属し、ギターを始め、ガールズバンドを組み活動する。
中学卒業直前のある日、自宅にあったアコースティックギターを手に、“もやもやした気持ちのやり場がなくて、衝動的に作った”という初オリジナル曲(作詞、作曲)『だからさ』が完成。
進学した高校は、軽音楽部がなかった為、1年生(15歳)の夏頃から、「もっと音楽を真剣に演りたい!」という想いでギターと歌のレッスンを始める。
創作活動も本格的に始めるなか、中学生の時のガールズバンドの経験しかない自分に危機感を感じ、「もっとたくさんの人に私の歌を聴いてもらうための修業が必要だ」と、新宿、大宮、池袋、渋谷などで、ストリートライブを始める。
高校2年生(16歳)の春、 “もがくだけの毎日を送っている自分を変えたかった”という想いで、「Treasure Hunt~ビーイングオーディション2012~」に、“詩織 ”の名前で応募。6月24日の決勝大会で、オリジナル曲 『だからさ』、椎名林檎『丸の内サディスティック』を弾き語りで演奏し、グランプリ獲得。
「歌声に心を鷲掴みにされた」と審査員から絶賛を浴びた。
メジャーデビューに向けて、創作活動・ストリートライブのほか、念願だったバンドセッションも始める。
■2012年12月12日 新山詩織 アーティストデビュー
メジャーデビューに先駆け、0th Single『だからさ〜acoustic version〜』を発表。2013年4月12日までのメールマガジン会員登録者に限定で、名前とサイン、シリアルナンバーを全て手書きしてCDプレゼントした。
■2012年12月 ライブハウスでの活動もスタート
■2013年3月31日 札幌Sound Lab moleオープニングアクト出演
■2013年4月17日 メジャーデビューシングル「ゆれるユレル」リリース
■2013年4月17日 大阪 梅田・Shangri-La、4月18日 東京 渋谷・WWW、デビューイベント開催:ドキュメンタリーフィルム上映+ミニライブ
■2013年4月28日 Niigata Rainbow ROCK MARKET 出演
■2013年5月3日 FM802×FM COCOLO FUNKY MARKET 出演
■2013年5月15日 J-WAVE TOKYO REAL-EYES “LIVE SUPERNOVA”vol.83 出演
■2013年6月9日 LACHIC presents SAKAE SP-RING 2013出演
■2013年6月15日 Sendai Music Attack!オープニングアクト出演
■2013年7月10日 2ndシングル 「Don't Cry」リリース
■2013年7月21日 JOIN ALIVE 2013出演
■2013年8月2日 ROCK IN JAPAN FES.2013出演
■2013年9月29日 MUSIC CITY 天神 2013出演
■2013年10月13日 MINAMI WHEEL 2013出演
■2013年11月9日 oricon Sound Blowin’ 2013 〜autumn〜
【LIVE情報】
12月14日(土) 「第13回青少年のためのコンサート」 @新潟県 三条市中央公民館大ホール