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東京から沖縄へ移り住んで3年。共同生活をしながら路上ライブを続け、この手で切り開いたメジャー・デビューの道!
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thirstyroad
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たった一人のエール
たった一人のエール/thirstyroad

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ミニアルバム
ドリーミュージック
MUCD-1188
発売:2008.09.24
\1,800(税込)
収 録 曲
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01.たった一人のエール
  【日本テレビ系“汐留☆イベント部”9月度エンディング】
02.花火
03.LOVE
04.CHANGE
  【WOWOW“ヨーロッパサッカー”テーマソング】
05.サヨナラ
06.東京
07.楓〜かえで〜
08.たった一人のエール(instrumental)
PV試聴や楽曲ダウンロードも!オフィシャル・ホームページはこちら!
一度は音楽をあきらめ就職もした3人が、20代後半で再起を決意。すべてを捨てて沖縄に移住。共同生活を送りながら路上ライヴを続けること3年。ついに夢が現実のものに。沖縄限定で発売されたミニアルバムの表題曲「たった一人のエール」が、全国有線インディーズ・チャートで2位を獲得。沖縄音楽シーンの旗手として注目を集めるサースティロードが、ついにメジャー・デビュー! 岩田秀聡/thirstyroad

2005年、仕事も辞めて3人揃って沖縄に移住

──なぜ、沖縄だったのでしょうか?
岩田:大学生の頃から、この3人でずっと路上ライヴを続けてきて、もちろん、目標はプロ・デビューでした。でも、現実は厳しくて、夢は叶わず挫折した。それでも、あきらめ切れなくて、スパっと音楽をやめることができなくて、就職をした後も、路上ライブを続けていたんです。3人の休みを合わせて、全国路上ライヴの旅を続けていたんですね。その中で、初めて沖縄に行った。宜野湾市だったんですけど。そこで封印していたものが開かれてしまったんですよ。歌があふれている街で、その空気感にかき立てられるものがあった。もう一度、夢を追いかけてみたくなったんです。

松本裕之/thirstyroad

──それで3人で沖縄に移住を?
岩田:直感的にココだ!って。この街でなら、なにかできるかもしれないって思ったんですよね。それで、3人で話し合った結果、一斉に仕事を辞めて、宜野湾市に移住することにしたんです。もちろん、悩みましたよ。僕と中嶋は28歳、松本は29歳になっていたし、それぞれ、仕事も順調でしたし。
中嶋:ホントに最初は不安だらけでした。果たして、どこまでできるんだろうかって。
松本:僕も、不安の方が大きかったですね。心機一転、また音楽ができるんだっていううれしさもありましたけど、期待1割・不安9割でした。

──すぐに路上ライヴを?
岩田:宜野湾市で3人で共同生活をしながら、路上ライヴを始めたんです。引っ越した翌日には、もう歌ってましたね。
中嶋:でも、他所から来た新参者ですからね。最初は、地元の方には、受け入れてもらえなかったし、お客さんの反応も薄くて。
松本:しばらくは、3人で“どうしたらいいんだろう”って、そればっかりでしたね。
岩田:仕事も辞めて来たわけだし、もうあとがない。崖っぷちです。もう、がむしゃらでした。それで、最初の年は、年間600本以上のステージをやりました。1日に5ステージ、6ステージの日もあったし、1日に何箇所も回ったり。
中嶋:そうしているうちに、地元の人とも親交が深まっていって。沖縄は、人と人のつながりが強いところなので、親しくなってからは、どんどん輪が広がっていきました。

中嶋成臣/thirstyroad

焦燥感の中から生まれた「たった一人のエール」

──では、その後の活動は順調に?
岩田:そうですね。次第に大きくなっているという実感はありました。ファンの方も増えている。自主制作盤やインディーズ盤は評判が良かったし、沖縄県内ではインディーズ・チャート1位になったり、活動自体は順調だったんです。
でも、僕らは、沖縄に拠点を移して、そこからメジャー・デビューへの道を切り開こうと思っていた。なのに、そこまでは行かない。いいセンまで行ってるんだけど、最終目標までは届かない。このまま、日々の繰り返しで終わってしまうのかなって。3年経って、焦燥感みたいなものも生まれてきたんですよね。それで、昨年の終わり頃から、一度立ち止まってみよう、ライヴ活動も一旦休止しよう、という話し合いもしていたんです。じゃあ、節目として、もう1曲だけやろう、すべて吐き出してもう1曲だけやって結論を出そう、と。そうしてできた曲が「たった一人のエール」だったんです。

──有線で火がついたのは?
岩田:路上ライヴの拠点が観光スポットなので、そこで歌っていると全国の方に出会えるんです。僕らの歌を聴いてくれて、CDを買ってくれた方が、地元に帰ってからも、メールをくださったりして、そういうやり取りがどんどん増えていって。今もずっと続いているんですけど、最初は小さな点だったものが、点と点がつながって線になっていくような感じで、少しずつ全国に広がっていって、東京・大阪ではワンマン・ライブができるようにまでなった。有線でのリクエストが増えてきたのも、そうした人と人のつながりがあってのものだったと思います。

──「たった一人のエール」には、どんな思いが?
岩田:それまでの3年間は、路上ライヴだけじゃなくて、CD持ってスナックや居酒屋さんを回ったりもして、やるせない気持ちになることもあったし、ホントにこれでいいんだろうかという葛藤もあった。そういう全ての気持ちをさらけ出した曲ですね。でも、そんな辛い時期でも、常に感じていたのは“一人じゃない”っていうこと。ホントに沖縄では色々な方に助けられているし、そういう感謝の気持ちも表した曲です。

──“たった一人”というのは誰のことですか?
岩田:まずは、自分たちのことですね。自分自身を奮い立たせる歌でもあります。同時に、聴いてくれる“あなただけ”という意味もあります。この曲を聴いてくれたあなただけのためっていう。

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October 29, 2008
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