|
||||||||||||
──3曲目は、山崎まさよしさんとコイルの岡本定義さんのユニット“さだまさよし”による初プロデュース作品で、昨年配信リリースされた「やわらかなサイクル」。2年前に奄美のライブハウスのシークレットライブで初披露されたそうですが、制作された時期は?
そのシークレットライブの頃です。今言われてみて、割といつもギリギリなんだなって思いましたけど(笑)。その時も、新千歳空港からエコを発信していく“エコエアポート”というキャンペーンの大使に、私と山崎さんと岡本さんを選んでいただいて。せっかく音楽をやっている3人が選ばれたんだから、キャンペーンソングを作っていただけませんかっていうお話をいただき、そこから2人が曲を作ってくれました。
レコーディングも奄美で行ったんですけど、私がその時に臨月で、もう飛行機に乗れなかったので来てもらったんです。せっかく来てくれているんだったらライブをやろうっていう話になって、急遽ライブもやりました。
──「やわらかなサイクル」のレコーディングは、いかがでしたか?
山崎さん、岡本さんのお二人とは本当に家族みたいな関係なので、あっという間でしたね。でも、みんなホントに楽しんでやってました。曲もやわらかい曲調というか、“元ちとせ”からイメージするものとは、またちょっと違って新しい声色だったりしたと思います。それはやっぱりとても長い付き合いの中で、私の声をよく解ってくれている二人でしか作れなかった歌だろうなって思います。
──冒頭と最後にライブのような合唱や歓声が入っていますが。
あれは本当に奄美のシークレットライブで録ったんです。“新曲が出来たんで今日発表します!”って言ったら、奄美のお客さんはノリが良いので歌ってくれたんです。それを山崎さんが急遽録るって言って。録ってくれたものをくっつけたんです。もちろん本編はちゃんとレコーディングしてますよ(笑)。
──「やわらかなサイクル」の歌詞は完成後にご覧になったんですか?
二人とは良く会うので、“こういう歌詞にしようと思うけど、あなたの中に無い言葉じゃない?”という確認はしてくれますね。“エコ”というお話から二人が悩んでこの曲にたどり着くんですけど、“エコ”と言われても何をして良いか解らないというのが正直なところだと思うんですよね。例えば“ゴミを分別しよう!”と歌詞に書くワケではないですし。“誰かのために”とか“何かのために”となると、人は中々簡単に腰が上がらないと思うんです。でも、“自分のために”、“自分が嬉しくなるために”何か始めることが大事なんじゃないかなっていう三人同じ意見があって。そこから生まれた詞ですね。
基本的に私たち三人はよく一緒にお酒を飲むんです。三人集まった時のたわいもない話の中に、たま〜に真面目な話もするんですけどね。その一部です。
──それでは今後も偶発的に、さだまさよしプロデュース楽曲が生まれるかもしれない?
偶発的なことがイッパイ起き過ぎて(笑)。どれを曲にまとめて良いか解らないことが多いですけど、私はもっともっと、二人の作った楽曲を歌いたいと思っています。ただ、山崎さんが自分の曲も書かなければいけないですし。私が曲を作ってとお願いしているのに、この前はギターケースを作っていましたからね(笑)。
──山崎さんに曲をせっつくんですか?
顔を見ると言いますよ。言いますけど逆ギレしますね(笑)。“お前のことばっかりやってられんのじゃ!”って(笑)。
──「永遠(トワ)の調べ」はアリオラジャパン移籍第一弾となりますが、移籍に当たっての抱負をお聞かせいただけますか?
歌に対する姿勢は変わらないです。より多く、いろんな場所で歌っていけたら良いなと思っています。移籍したことでスタッフも変わりますし。新しい出会いですから、その方たちがまた“新しい私”を引き出してくれるんだろうなって思っています。まだ始まったばかりなので、どんな風に動いていくのかは分からないですけど、やっぱりスタッフの方々に助けてもらわないと出来ることでは無いですし。新しい出会いから生まれてくる“新しい自分”というのを早く見たいですし、それを音楽の力に変えられたら良いなと思っています。それは、とても楽しみなことではありますね。
──新たなものを吸収して。
きっと今まで聴いていたものではない音楽を聴くキッカケにもなると思いますし、そういうアーティストの方々からの刺激というのも無くてはならないものですから。
──そして来年2012年はデビュー10周年になりますが、10年間活動してこられて、いかがですか?
デビュー当時は一日一日が良く分からないまま進んでいました。 “レコード会社って何だ?”、“事務所って何だ?”、“ドレミファソラシドって何だ?”ですから。島唄しか知りませんでしたし、ただひたすら歌が好き、出会った人たちが家族っていう感覚でいたので、プロとしての意識も全く無かったですし。そこからやっと自分の足元をちゃんと見られるようになってきたなという感じがありますね。それがやっぱり10年という月日なんだなって感じます。だから、もっともっと太く濃く、今まで歩いてきた“歌の道”をまたなぞりたいです。
──ようやく足元が見られるようになったという感覚は?
ゆっくりですが、ちゃんと焦点が合ってきたと思います。例えば、甥っ子、姪っ子からすれば、私のことを芸能人と思ってくれてはいますけど、自分では全く思っていませんでしたし。その子たちは歌手と思ってくれていても、そう思ったこともまだ無かったぐらい当時は必死でした。でも、だんだん仕事のスピードも自分に合って来ていますし、自分が好きな音楽もまた増えた上で、これが好きなんだということも見えてきました。大分、音楽のコツ、レコーディングのコツも分かってきましたね。そうなってくると“歌”にだけに凄く集中出来る、“歌”にだけにエネルギーを注げるようになってきたというのが10年の月日なんだろうなと思います。だから、今まで見落として来たこととか、通り過ぎてしまったこととか、また同じ道を歩きながらその道を太くしていけたらなと思います。
あとは、“やらなければいけない”っていう気持ちも、より強く持っています。ライブはお客さんが足を運んでくださるワケですから。その方々から時間とお金を頂くワケですから。そういうことに関しての意識というか、大事なことが見えてきたから、やっぱり自分の歌をもっと伸ばしたいって気持ちになりますね。