──「高円寺を紡ぐ」は“語り”ですね。これもフォークならではスタイルですが。
若い世代の人はみんな“これ、どうして語りなんですか?”“どうして歌にしないんですか?”って言うんですよ。要するに、語りじゃない方がいいのにって。これがラップだったら何でもないんでしょうけど、語りというスタイル・・・普通に喋っているというのが恥ずかしいみたいですね。夕陽に向かってバカヤロー・・・みたいな、そういう青春ドラマの時代感覚って言うか。イマドキこれは・・・っていう感覚なんじゃないかな。
──でも、木根さんは、その“語り”をやりたかったんですよね?
そう、やりたかった(笑)。1曲は語りをやりたかったんですよ。語りのフォークとしては、「母に捧げるバラード」(海援隊)が一番有名ですけど、陽水さんも拓郎さんも語ってますからね。僕の中のフォークとしては、やっぱり“語り”も外せなかったんです。
──♪あなたに会ってからの僕が手に入れたものを数えたら切りがない/手ばなしたものを数えても切りがない・・・という歌詞が、心を揺らしますね。
人生というものは、この言葉に尽きるんじゃないかと思うんですよ。やっぱり、手に入れるものも多いですけど、なくすものも多いじゃないですか。悲しみと喜びは、死ぬ時には、半々だとよく言いますけど、得ながら失うものもたくさんありますからね。そういう事を歌えるようになったのも50過ぎたからかなって。20代の頃には出てこなかった言葉ですよね。
──あなたというのは、やっぱり拓郎さん?
もちろん拓郎さんも含むし、僕が憧れた人みんなですね。
──「中野グラフィティー」は、楽しい歌になりましたね。
中野は初めから、サンプラザをテーマにしようと思ってました。もう歌詞の通りで、1番はTM NETWORKがフレッシュサウンズコンテストに出た時の話ですし。中野に住んでる友達がいて、ほんとに家族全員がB型だったり、僕の最初のギターは、本当に中野の丸井で月賦で買ったものだったし。そういう事をそのままパーっと書きました。まぁ、中野ブロードウェイにはジュリーが住んでるって、そんな事まで歌にしなくても良かったんですけど、なんか、どうしても言いたくて(笑)。
──中野ブロードウェイと言えば、超デラックス・マンションの走りですよね。
先日、テレビでたまたま中央線沿線を紹介する番組をやっていて、その中で、中野ブロードウェイを“今で言う六本木ヒルズだったんだ”なんて紹介してましたけど、その番組でもやっぱり“ここにジュリーも住んでいたんだ”って言ってて。みんな、中野と言えば、ブロードウェイ。ブロードウェイと言えばジュリーなんだなって(笑)。当時は、僕らは小学生でしたからね。ホントは誰も中野に行った事なんかないのに、“平凡”“明星”の受け売りで、中野ってすっげーんだぜ、ジュリーが住んでるんだぜって(笑)。
──「新宿物語」は、ちょっと重くなりますね。
これはね、僕の中では、岡林信康さんの「友よ」なんですよ。もし、僕がフォーク集会の世代だったら、こんな歌を新宿西口広場で歌いたかったな、という憧れですね。
──あと何年か早く生まれていたら?
そうですね。やりたかったですね。後追いの情報で知ってるだけですけどね。
──当時、フォーク集会に集まっていた方々も、今は何もなかったような顔して過ごされているわけですよね。
その時は、本当にそう思っていた事でも、変わっていきますからね。自分の中でも古臭い事、恥ずかしい事になっていったりしますよね。何、俺、カッコつけてたんだろうって。でも、夢を見るって、そういう事なのかもしれないですよね。ただ、これからは、時代に乗るも乗らないも自分次第だって、そう思いますね。
──「四ツ谷ロマン」「お茶ノ水慕情」とラブソングが続きますが。
「四ッ谷ロマン」は、拓郎さんにおける「高円寺」なんですよ。電車に乗って、可愛い子がいるとすぐに目移りしちゃって。僕は実際、すっごく可愛い子に見とれてて、電車のドアに挟まれた事もありましたし(笑)。
──居眠りしている女の子が肩にもたれて来るというストーリーですが。
肩にもたれて来たのがオッサンだったら、すぐに払いのけますけど、それが可愛い女の子だったら、寄り添ったまま、しばらく恋人気分でいようかなって。そういう事って、今の男の子にもあると思うんですよね。
──お茶ノ水には、どんな思い出が?
モチーフは「学生街の喫茶店」だったんですよ。お茶の水というのは、昔から学生の街でしたよね。あの頃は、学生結婚も多くて、そんな学生の頃の歌を作りたいと思ったんです。僕自身の実体験みたいなものも含みつつ、とっても叙情的な歌になりました。
──「東京バラッド」は、夢叶わず帰郷する人が主人公ですが。
僕自身は、東京生まれだから、そういう感覚はないんだけど、でも、周囲にはそういう人がいっぱいいて。夢を描いて上京して来るんだけど、まずは住む所探して、生活のためにアルバイトをして・・・結局、生活に追われるだけの毎日になっちゃって。そういう人をたくさん見てきたんですよね。僕の知人で、プロを目指して、10年という約束で東京に出て来たという人がいて、10年経って明日故郷に帰るんだという日に偶然会ったんですよ。でも、東京でライヴ活動してた事は無駄にはなっていなくて、故郷の沖縄に帰ってから成功して、今も音楽活動を続けている。必ずしも東京で成功する事だけが全てじゃないんですよね。そんな事も思いながら作った曲ですね。
──拓郎さんの「制服」が思い浮かんだんですよね。
それは素晴らしいですね。確かに、歌のイメージとしては似たものはありますね。「制服」は、僕は高校時代に聴いて、ものすごく衝撃を受けた曲です。集団就職というのは、学校でも習って頭ではわかっていたけど、15歳の女の子が、親元を離れて、東京で住みこみで働くって、すっごい事だよなって、あの歌で初めて実感したんですよ。確かに「東京バラッド」と繋がる部分はありますよね。実は、このアルバムの中で一番最初に出来た曲が「東京バラッド」だったんです。この曲ができて、『中央線』のイメージがより明確になったと言うか。東京駅と言うのは、終わりの駅でもあり、スタートの駅でもある。そんな駅ですよね。
──この作品を通して、リスナーとどんな事を共有したいですか?
CDの帯に“推奨年齢50歳以上”と書いたのは洒落でもなんでもなくて、本当に50歳以上の人に聴いて貰いたいアルバムなんです。今、年間3万人が自殺してるとか言うけど、40代・50代・60代が多いんですよね。これから、ますます一人暮らしの高齢者が増えていく中で、そういう人達が救われる音楽。それを考えて行きたいんです。僕らの世代が聴く音楽って、どうしてもリバイバルになっちゃうでしょう。青春時代のヒット曲のベスト盤を買って聴いている。懐かしい曲もいいけど、新しいフォークも聴いてよって事なんです。新しい歌も聴いてよって。私達の欲しい音楽がここにあるって言う、そういう環境を作っていきたいんです。音楽が持つ使命って、すごく大きいですから。
──『中央線』は、その第一歩?
そうですね。ちょっと技術的な話になっちゃうんですけど、最近のJ-POPのエンジニアさんは、マスタリングの時に音圧をマックスまで上げて録音しているんですね。レッドゾーンを振り切って録音しているんです。そうすると、ケータイで聴いても何で聴いても、いつでも同じに聴こえるんです。それはそれで良い事でもあるんですけど。でも、『中央線』のエンジニアさんは、ブラックゾーンの真ん中くらいをマックスにして録音してくれたんですね。その結果、どんな現象が起こっているかと言うと、『中央線』の曲は、ちょっとしたボリュームの上げ下げで、すっごく雰囲気が変わるんです。そんなアナログチックな仕上がりなんです。今回、僕はラジオ・キャンペーンで、いろんな所に行ったんですけど、同じ曲のオンエアなのに、ファンの方から“全部表情が違いますね”と言われて。要するに、何が言いたいかと言うと、今の音楽のほとんどは、レッドゾーンを振り切ってる音楽なんですよね。若者が買うとしたら、それでいいんです。でも、僕らの世代は、ブラックゾーンなんですよ。だから、こっち側(ブラックゾーン)をどうやって充実させていくか。それを、もっともっと考えていかないと。少し大袈裟かもしれないですけど、そう思っています。60代を迎えても活躍されている方もたくさんいらっしゃるし、そういう方達に、追いつけ追い越せで、頑張っていきたいですね。
NAOTO KINE CONCERT 2010 Talk & Live 番外篇Vol.10〜回帰〜
5/01(土) 東京・吉祥寺 Star Pine’s Cafe
5/02(日) 東京・吉祥寺 Star Pine’s Cafe
5/03(月・祝)東京・吉祥寺 Star Pine’s Cafe
5/04(火・祝)東京・吉祥寺 Star Pine’s Cafe
5/05(水・祝)東京・ 吉祥寺 Star Pine’s Cafe
5/08(土)愛知・名古屋ハートランド
6/05(土)宮城・仙台 retro Back Page
6/19(土)京都・京都磔磔
6/20(日)大阪・大阪JANUS
7/04(日)横浜・Thumbs Up(サムズアップ)
7/10(土)福岡・福岡ROOMS
7/11(日)広島・LIVE Cafe Jive
7/16(金) 東京・渋谷PLEASURE PLEASURER
7/31(土)北海道・札幌 cube garden
詳細は、オフィシャルサイトへ
http://www.kinenaoto.com/
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