2014年の元旦にDo As Infinity が8年ぶりのベスト・アルバム『The Best of Do As Infinity』をリリースする。アルバムには2000年代を彩った名曲の中から、メンバーが自ら選曲した楽曲たちと、2曲の新曲を加えた全30曲が収録される。さらにDVDには2013年4月27日 TOKYO DOME CITY HALLにて行われた、「Do As Infinity LIVE TOUR 2013 〜 Do As Infinity ]〜」の東京公演のライブの模様が収録という豪華版だ。ちなみに新曲の「風花便り」は1月6日スタートの東海テレビ・フジテレビ系昼ドラ「花嫁のれん」主題歌に、もう一曲の「believe in you」は「テイルズオブ」シリーズのスマートフォン向け新作アプリ・テーマソングにそれぞれ決っている。ということで結成15周年目を迎えるDo As Infinity に直撃インタビュー。1999年の結成以来、人気の絶頂中で突然の解散発表、そしてファンが狂喜した2008年の再結成と、まさに疾風怒濤を地で行くようなこれまでの活動の裏話も含めて、今回のベストアルバムのこと、さらには楽しい趣向が用意されている2013年末のカウントダウン・ライブについても語ってもらった。
──Do As Infinity(以下DoAs)が結成されたのは1999年ですが、そもそも音楽を始めたのはいつ頃からですか?
大渡:僕がギターを始めたのは中学生の頃です。その頃に洋楽の洗礼を受けまして、それからチャート音楽を聴き、そのチャート音楽の上位に上がってくるギター主体の音楽に惹かれていき、ギターにのめり込んでいって今に至るという感じです。
──その頃、具体的にはどんなアーティストが好きでしたか?
大渡:例えばカルチャー・クラブ、デュラン・デュランとか、あの世代です。いわゆるイギリスのポップス、そして程なくしてビルボード・トップ50のアメリカのチャート音楽を聴きながら、友人の影響もあって、ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」とか、マニアックなところでいくと、当時はLAメタルが大全盛だったのでTwisted Sisterとか、そういう耳触りの良いアメリカのハードロックが音楽への入口でした。それで近所の高校にそういう曲をプレイする2、3歳上の方々が文化祭に出たのを見て、衝撃を覚えました。そう歳も違わないのに、演奏してライブが出来るということにショックを受けたのです。それで「俺もやればできるのかな?」という感じになって、それが今に続いています。
──根っからのギター少年として、青春を突っ走ってきたんですね。
大渡:そうですね。
──伴さんはスカウトされて音楽の世界に入ったということですが、それまでに音楽や、歌うことへの関わりはどうだったんですか?
伴:私はそれまでバンドを組んだこともありませんでした。ただ、中学校くらいの時にカラオケが世に出始めて流行り出したというのがあって、それでカラオケで歌ったりしていましたね。だから歌うのは楽しいなとは思っていましたけど、本格的に作詞や作曲をしたこともなかったし、ましてや自分から履歴書を送ってオーディションを受けるなんていう積極的なタイプではなかったです。でも、密かに歌うことへの思いは募らせていました(笑)。
──楽器の経験は?
伴:まったく、やったことないですね。
──自分の歌唱力についての認識はどうでした?「私って、ひょっとして歌がウマいかも」とか思いませんでしたか(笑)?
伴:いや、いや、いや、いや、全然そんなこと思いません。ただ歌うのが好きだなという感覚はありましたけどね。
──それでお二人が出会って、1999年にDoAsが結成されるわけですが、当時、渋谷の駅前で路上ライブをやっていたという。今の渋谷では考えられないことですが因みにどの辺でやっていたのですか?
大渡:ハチ公の目の前です。背中に駅ビルのシャッターを背負って、ハチ公と交差点の向こうにあるビジョンに向かってやるという感じですね。
──調べますと、TSUTAYAのビルが竣工したのが、1999年の12月だそうです。
伴:そうそう、確かに最初はあのビジョンはありませんでしたね。
──初めての路上ライブは、どんなふうでしたか?
大渡:最初は何を考えてたのか、交番に向かってやっていました(爆笑)。交番にスピーカー向けて、今考えればお巡りさんに宣伝してどうすんのって感じです(笑)。
伴:そりゃ「ちょっと、君たち」って言われちゃいますよね。
大渡:そうそう、お巡りさんに注意されて、「次の曲終わったら止めてね」みたいな感じで(笑)。
──しかも結構な回数を重ねていますね。
大渡:デビュー当時に100回目の路上ライブを渋谷公会堂でライブをやろうという戦略があったので、1日に15分程度の路上ライブを3回やって、それを週に3日くらいの頻度で積み重ねて合計100回目を渋谷公会堂、101回目を渋公終わりで移動して駅前で路上ライブっていうノリでしたね。
──因みに伴さんは人前で歌うという経験が、その時が初めてですよね。
伴:そうですね。しかも路上ですから、歌というより肝試しみたいなもんでした(笑)。毎回終わったら、その後のスケジュールがない時は居酒屋に行って、反省会をしていましたね。私は本当にド素人だったので、MCなんかも経験がなかったし、「MCってなんですか?」っていうレベルでしたから(笑)。そこを亮君が色々と考えてくれるんですけど、そもそも私は喋らない人間なんで(笑)、みんなも大変だったと思います。「伴ちゃんね、MCっていうのはフロントマンがやるもんだよ」って、亮君に諭されたりして、反省会を積み重ねながらの毎日でしたね。
大渡:しかもレコーディングをしつつの路上ライブでしたから、きつかったです。例えば22時位にいい感じのテイクを録っている時に、「路上ライブの時間ですよ」って言われて、レコーディングを中断して行くわけです。当時は渋谷のオーチャード・ホールの下にスタジオがあったんで、そこからハチ公前に行き、いきなり違うタイプの曲を演奏するという感じ。レコーディングでエレキを弾いていたのに、路上ではアコギとか、そんなふうでしたね。
伴:きつかったね。
大渡:内心レコーディングとライブは日にちを分けてほしいなぁと思いつつ、それでも頑張ってやっていました。
──最終的には路上ライブに人が集まりすぎて、全曲出来なかったとお聞きしています。
大渡:そうですね。でも最初はシブかったなぁ、立ち止まって聴いてくれるお客さんはいなかったです。
伴:そうそう、全然いませんでした。
大渡:CDを発売してからですね。「あれ?エイベックスの新しいバンドだ」っていう感じで、足を止めてくれる方がチラホラ現れるようになった。それで翌年の2月あたりが路上のピークだったような記憶があります。凄く沢山の人が集まってくれましたね。
──伝説の渋谷路上ライブを経て、いよいよ2001年発売のシングル「Desire」の頃から、出す曲が全てトップテン入りするという快進撃が始まり、それは2005年まで続きます。この辺りは、今、振り返ってみてどんな感じですか?
伴:もう目まぐるしくて記憶にないくらいです。
大渡:自分たちの実績を振り返る暇もなかったです。
伴:毎日毎日が新しいことの連続で、もちろんCMやテレビで自分たちの曲が流れるのは凄く嬉しかったのですが、でもそれに浸るとか味わう暇がなく、次、次、次っていう毎日でしたね。
──それで2005年に20枚目のシングル「TAO」を出して、DoAsは解散してしまいます。こうやって振り返ると、まさに人気絶頂でやめてしまったという感じですが、解散の理由は何だったのでしょうか?
大渡:一言で言うと、詰め込み過ぎたということですね。そもそもDoAsはお見合い的に始まったグループでもあったので、短期間に詰め込み過ぎたのが解散の原因になってしまったと思います。お互いの理解が不十分なまま、スケジュールありきで進んでいって、僕らメンバーもそうですけど、スタッフも、当時はメンバーみたいなスタッフが確実に二人いたのですが、その二人も「もうちょっとお手上げだね」というくらい疲れちゃっていた。アイディアは沢山あったのですが、それを続けることをしないで止めたという感じです。
──武道館の最後のライブはどうでした?
大渡:大勢のファンの皆さんが集まってくれましたね。最初は解散ライブをツアーでやる話だったのですが、それを拒んだ記憶があります。ビジネス的にはツアーを組んだほうがいいのでしょうが、僕の中ではもう終わるということが決まっているものに、そこまで気持ちを持っていくのが難しかった。だから1日だけしっかりやろうよということで、武道館で1日やったのです。
──そして解散したわけですが、解散後はどうでしたか?
大渡:僕は並行してもうひとつグループをやっていたので、そのグループで色々な場所を回っていました。クルマで全国を旅していたので楽しかったですね。
伴:私はソロ・ワークが始まっていて、だから頭を切り替えて、ソロに集中していました。
──そして2008年9月29日に再結成になります。これはどういうきっかけですか?
大渡:解散後の3年間は本当に別々でした。それで3年ぶりに伴ちゃんが飲んでいる時に誘ってくれて、久々に喋りたいなと思ってそのお店に行ったのです。それまでの3年間は意識的にDoAsを封印していました。DoAsは素晴らしかったけど、そこを見ちゃうと今の自分を否定するような気がしたのです。でも伴ちゃんの誘いで久々に話したくなって出かけたら、昔話をしていくうちに、現実的な再結成という話にはならなかったけど、伴ちゃんの方にもう一回やりたいという気持ちが出てきて…。
──正直、どう思いました?
大渡:「そんな選択肢があるのか」と驚きましたね。それで、その後にスタッフも含めて忘年会的なものをやって、そこから再結成が現実味を帯びてきたのです。
伴:私は一度離れてから初めてDoAsを客観的に見ることができて、そこで自分の至らなさというか、大人気なさとか、責任もすごく感じて、そんなモヤモヤした気持ちをしばらく抱えていたのです。それである日亮君に連絡をして、話をしているうちにポロリと本音が出てしまったという感じですね。それから話が動き出しました。
──因みに伴さんは、今はソロとDoAsの二本立てなんですか?
伴:いいえ、DoAs一本です。
──そして再結成後初の通算21枚目のシングル「∞1」が出ます。そこからは解散前の怒涛の活動に比べて、ゆったりマイペースな感じに見えます。1999年のファーストシングルから解散の2005年が前半戦、そして3年間のハーフタイムを挟んで、2009年から後半戦が始まって、今は非常に安定しているという感じを受けます。
大渡:そう区切ると、後半戦は地に足をつけて活動できていると思います。作品としても流行りに左右されないものを発表できていると思います。例えば「懐かしいね」と言われるようなタイプの曲は出していないし、でも昔の曲と今の曲を違和感なく、隣り合わせで演奏することもできますしね。
伴:前半戦の目まぐるしかった勢いも、今思えばありがたいし、それがあってこその今だと思うので、否定する気持ちは全くありませんし、充実のひと時だったと思います。そして今は、ちゃんと活動している手応えがありますね。
──歌うことに関してはどうですか?前半戦と変わったことはありますか?
伴:昔の曲を聴き直すと色々と反省とか課題はあります。でも自分の原点というか、歌が好きという気持ちや歌いたいという気持ちには変化はありませんね。そこはブレないというか、いい意味で変わっていません。
──2014年の元旦に2枚組のベストアルバム「The Best of Do As Infinity」が出ます。お二人が選曲したこれまでの曲と、新曲が二曲入っています。まず既発曲の中で、お二人が思い入れのある曲を一曲選ぶとしたら、どの曲ですか?
伴:それぞれ思い出はありますが、私は再結成後に作った「HARUKA」という曲ですね。この「HARUKA」という曲は、DoAsの新たなカラーというか、そういうのが出せた一曲になった気がします。
大渡:僕もそれぞれに色々な思いがありますが、強いて言えば「本日ハ晴天ナリ」ですかね。何か、DoAsってこういう感じだよね、伴ちゃんってこういう感じだよねっていうパブリック・イメージがついた時に、そうじゃないものをシングルで出せたという曲です。
──「本日ハ晴天ナリ」のシングル発売は2003年です。
大渡:こういう軽快なパンクチューンというか、そういう曲をリードで出せた時に、また一つ新しい可能性を感じましたし、今ではライブでも外せない曲に成長しています。みんなが本当に声を上げて歌ってくれて、言い過ぎかもしれませんがDoAsのアンセムだと思うのです。それを作りだせたという自負心もあるし、この曲に支えられているような気もします。
──一方新曲ですが、まず、「believe in you」は、伴さんが作詞に関わっていらっしゃいます。
伴:この曲は最初にデモ音源を頂いた時には、歌メロの部分が鍵盤で入っていまして、声じゃないのでイメージし辛かったのですが、そんな中で曲としての力強さとか、光みたいなものを感じました。そこでテーマを光にして、書いていった感じです。
──確かに歌詞の内容が、何かに立ち向かっていくような力強い感じになっています。
伴:そうですね。
──そしてもう一曲の新曲が「風花便り」で、これも非常に耳に残るメロディです。
大渡:正直に言うと、曲を選ぶ時は「ちょっと明るいなぁ」という気がしました。明るいのは好きなんですが、DoAsがこれをやるのはどうなんだろうという気がして、僕の中では難色があったのです。でも取り敢えずやってみようとなって、結果は大正解です。いい感じで新しい自分たちのキャラクターが出せたような気がしますね。
──確かにDoAsの新しい魅力が出ていますね。ところでお二人とも作詞をされますが、作詞についてのこだわりとか秘訣みたいなものがあったらお聞かせ下さい。
伴:私は未だに苦戦しています(笑)。
大渡:解散前の前半戦のDoAsでは、伴ちゃんと僕と当時のディレクター、そして作曲のメンバーという、いわゆる4人柱で歌詞を考えていたのです。名前は全部統一でDo As InfinityのD・A・Iとクレジットされていますが、実は作家はそれぞれ違います。やり方としては、まずみんなで曲を聞いて、自分のモチベーションが上がると感じたら挙手するのです。これは俺が作詞したらよくなるって思う人が手を挙げるのです。例えば厳かなバラードや繊細な曲の場合は、僕は絶対に手を挙げない(笑)。自分のぶっきらぼうなキャラクターやメッセージが通用しそうな曲を選んで、何曲か作詞を担当させてもらいました。だからもう曲を聴いた瞬間にメッセージがおぼろげながら見えているので、それを頼りに作詞していくという感じになります。具体的には例えば天候だったり色彩だったり、そういう曲から着想される環境のイメージを先に決めます。そしてその環境を感じさせるのか否かを決めていく。例えば大きい空が見えるような曲にしたいとか、そういうことから考えていきますね。
──風景を決めて書いていくのですね。
大渡:サウンドが持つムードを、言葉で修飾していくだけというやり方ですね。まずサウンドありきなので、逆に文学的な歌詞は書けないのです。僕の歌詞はサウンドに言葉をつけてあげるだけです。
──俳句をひねるのとは根本的に違うのですね。
大渡:そうなんです。俳句をひねるような言葉のスキルがあったら、もっと豊かに書けるなぁなんてあこがれますけど、やっぱり僕はギターを弾いてナンボであるので、メロディの持つムードなり景色なりを言葉にしてみたいのです。
伴:私も歌詞に関しては曲が先にあって、そこに言葉を乗っけていきます。だから、まず曲から受ける印象がいちばん大きい。その中でいろんなヒントを貰って、言葉を捕まえて、似合う言葉をはめていく感じです。
──作業としてはしんどい?
伴:そうですね。もうちょっと上手にやりたいのですが、作詞は一番難しいですね。だから他の人の曲を聴いては感心しています。詞が良く出来ていて、上手だなって思うことが多いですね。未だ修行中です。
──では最後に、今年を締めくくるカウントダウン・ライブについてお聞かせ下さい。2日間のうち、初日が大渡さんのプロデュースで、二日目が伴さんのプロデュースという趣向です。まず、初日は「地獄の忘年会」と銘打っていますね(笑)。
大渡:今年の9月に14周年記念のライブをやりまして、サウンドプロデュサーの亀田誠治さんをお迎えして賑々しく大盛況だったのですが、それをやりきったあとにカウントダウンのミーティングをやりました。でも、やりきったあとだけにアイディアが出てこない(笑)。それで今年も2日あるから亮DAYと伴DAYにしたらみたいな話になったのです。まず二人で別々に選曲をしました。それでライブの起承転結を作っていくことになったのですが、僕の方はエネルギッシュにまとまったものをやるのが面白そうだと思ったのです。しかもライブは忘年会の時期だし、急に「遊びたいなぁ」という気分になってきたのです。それで僕は先日来日したKISSが好きで、そこで以前にやりたくてできなかった白塗りを思い出した(笑)。以前に星だけ書いて野外ライブに出たことがあるのですが、白塗りはしていなかった。そのリベンジをやりたくなったのです(笑)。ですから今年はそういうビジュアル的なサプライズを打ち出します。もう自分自身が遊んで楽しんでいる姿を見てもらって、楽しんでもらおうという企画になっております(笑)。
──楽しそうですね。で、31日担当の伴さんの方は「除夜の伴さん会」とシャレになっています(笑)。
伴:1年を締めくくり、新年を迎えるライブなので晩餐会?っていう感じでしょうか。
──じゃあゴージャスに、カクテルドレスとか着ちゃいますか(笑)?
伴:いや、いや、いや、いや、それは怖いですね(笑)。まあ、片方で亮君が大人の悪乗りみたいな感じらしいので、私は今、絶賛作戦立てている真っ最中です(笑)。
──ではマル秘ということで、楽しいサプライズがあるかもしれませんね。
伴:年またぎのカウントダウンはもちろんありますよ。でも、みんなで集まってライブ会場で新年を迎えるというのも、改めて考えてみると凄いことです。だからありがたいなぁと感謝しつつ、是非とも皆さんと楽しいライブにしたいです。
【LIVE情報】
「Do As Infinity CountDown Live “ゆく年くる年インフィニティ13→14” - 地獄の忘年会!?-」
日程:2013 年12 月30 日( 月)
会場:品川ステラボール
開場/開演 17:15/18:00
「Do As Infinity CountDown Live “ゆく年くる年インフィニティ13→14” - 除夜の伴さん会-」
日程:2013 年12 月31 日( 火)
会場:品川ステラボール
開場/開演 21:45/22:30