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裸足で舞台に立ち、歌いながらスプーンを曲げる。圧倒的な歌唱力とまるで寸劇をみるような独特の演出のライブが回数を重ねるごとに評判を呼び、全国でファンが急増中!黒木渚は、今年全国デビューの新人バンドとは思えない存在感を放っている。この勢いは武道館が見えたといっても過言ではないかもしれない。そのボーカル兼作詞作曲者である黒木 渚への直撃インタビュー。ライブで見せる印象から、暗黒世界からやってくるシャーマン風の異形の人物を予想していたところ、現れたのは身長170センチ、「ファンション・モデルです」って言われたら、「はい、そうですよね」って頷いてしまうような爽やか美女。しかも、常に笑顔で気さくに喋る様も、会う前の予想を完全に覆すものだった。その一見、気さくそうな人柄につけこんで、「世に出した作品については、解釈は聞く人に委ねる派です」と公言する本人に無理を承知で、曲ごとに込めた思いを語ってもらった。本邦初公開、本人が語る黒木渚の世界へようこそ!
──まずはバンド結成の経緯からお聞かせ下さい。
黒木:黒木渚を結成したのは2010年12月です。現メンバーの3人は同じ大学にいて、各々音楽サークルで活動していました。そもそも私は1人で弾き語りをしていたのですが、同級生だったベースのサトシがそれを見て「バンドをやらないか?」って声をかけてくれ、黒木渚の前身となるバンドを結成した。その後、ドラムを探していたところ、2年後輩のモッチとちょうどいいタイミングで出会って、黒木渚が出来上がったのです。そこで初めてプロ志向のバンドとして、学生のお遊びから切り替わった。
──とはいうものの、まだ3人とも大学生だった?
黒木:黒木渚になったのは大学院の頃です。私とサトシは大学院に通っていて、私は英米文学を専攻していました。実は教員になるための大学だったので、全員、教員になるつもりで通っていた。サトシも先生になる予定だったのですが、ちょうどその頃に黒木渚が良い感じになってきたので、こっちに鞍替えした。実は私も卒業後一旦就職し、市役所で働いていました。でも黒木渚との両立は難しいし、そもそもプロのバンドが片手間で出来るはずがない。もちろん音楽で成功したいという気持ちもあったので、あっさりと仕事を辞めました。
──そもそも黒木さんが音楽を始めたのは、いつ頃からですか?
黒木:音楽に触れるようになったのも、ギターを始めたのも大学の軽音楽部に入ってからです。それまでは中高一貫校で寮生活をしていて、殆ど音楽に触れる機会はなかった。娯楽厳禁の凄く厳しい学校だったので、流行りの音楽を楽しんだりテレビを観たり、そういうことに全く触れることなく6年間を過ごしてきました。その反動で、大学で軽音楽部に入ったというのもある。
──今年2月の新宿ロフトでのライブで、東京に拠点を移した宣言をしていましたね。
黒木:そうですね。2月に活動の拠点を九州から東京に移して、いよいよという感じです。
──黒木渚の曲は、どれも独特の世界観というか、物語をもっています。そこで曲毎に、歌詞を中心にお話を聞きたいと思います。まず「骨」という曲ですが、ここに出てくる主人公は、黒木さんそのものに思えます。黒木さんを燃やして残るものが、骨イコール作品というイメージです。
黒木:そうですね。この曲では比喩として骨という言葉を使っていて、それは私の中を貫いている信念みたいなもの、背骨のように芯として私を支えているものです。それは私が立っている理由でもあり、黒木渚というバンドをやっている理由でもあります。
──「墓石に点数を彫ろう」というフレーズがありますが、これはユニークな発想ですね。
黒木:墓石に点数を彫るというのは、墓石ダービーといって、実際にバンドでやっている遊びです。自分に点数をつけて、死んだらその合計点を墓石に彫るという約束をメンバーとしている。
──点数をつけるのは誰ですか?
黒木:自己採点です。そしてもし死後の世界で会えたら、点数の彫ってある墓石を見下ろして、それを肴にお酒でも飲もうかと。つまり死ぬということをポジティブにとらえて、それに向かって喜びを競い合うというか、かなり貪欲に楽しんでいこうということです。一口で言えば快楽主義ですね。黒木渚を始めて、音楽に本気になってからつくづく思うのですが、落ち込んでいる時間すらもったいない。嫌なことがあってもへこんでいる暇はなく、例えば自分が上手くできなくて怒られたら、それを悩む暇があったら練習したほうがいい。もっと貪欲にやっていくべきです。生きること全般がそうで、悲しみにうちひしがれている時間はもったいないよ。墓石ダービーというのは、そういう発想です。
──因みに今、ダービーのトップは誰ですか?
黒木:私かな?今のところずっと百点なので(笑)。でもモッチは現在採点中といって教えてくれないから、実際の順位は不明です。たまにツイッターで、現在の得点状況をつぶやきます。
──そこからファンのみなさんも参加して、全国規模の墓石ダービーになったら面白いですね。
黒木:それは面白いかもしれませんね。ただ、点数をつけるというと、何事も計画的で、計算してやっていくタイプと思われがちですが、実際はそうでもない。わりと感覚に沿って行動しているところもあります。例えば市役所を辞めたのも、「なんてバカなことを」って周りからは非難されたのですが、でも自分の内なる感覚に抗えなくてそっちを選択した。日々の小さなことでも、私はトンデモ発言みたいなことをよくするらしいのですが、それを実行してみると意外と上手く行って、結果オーライみたいなことも多々あります。
──現在You Tubeで、黒木渚のPVが2タイトル見られるのですが、そのうちのひとつが「骨」のPVです。黒木さんは白のミニドレスを着ていて、ポップでキュートな感じ(笑)。そしてもうひとつが、それとは対称的な、全身に返り血を浴びるような「あたしの心臓あげる」のPVです。
黒木:あのPVは衣装も楽器も一回しか使えないので、一発撮りで、凄く非日常的な経験でしたね。ひとりずつ順番にやったのですが、最初、サトシが浴びているのを見て興奮して、その姿をビデオカメラで撮りながら、大はしゃぎしていた。それで自分の番には、今度は手が震えてしまうほど興奮した。後日、出来上がったものを見た時は、「あれ?もっと大量の血を浴びたのに」という感じでした(笑)。
──歌の内容は「あたしの心臓あげる」だけでなく、「あなたの心臓ちょうだい」ってなる。
黒木:テーマはシンプルで究極の愛。男女の恋愛だけでなく、親子愛、友情なども含まれます。その愛する人と自分をつなぎとめるために、何かをやり取りするとしたら何にするか、と考えた。心臓のやり取りをしたら深い絆で結ばれているような気がするし、分かりやすいかなと。「あたしの心臓あげる」は、つまり死んでも構わないということ。そういう感覚って、特に親子の場合は、子供のためなら自分の臓器のひとつやふたつは差し出したって構わないし、母親だったら当たり前にそういう気持ちになる。つまり心臓のやり取りイコール愛みたいなシンプルな答えが出てきた。歌詞の通り誰かを究極に愛してしまうと、相手の存在はゴッドですよ。その人が悪いことを言ったり、嘘をついたりしても、なんかそっちのほうが真理というか、下世話に言えば惚れた弱みみたいなこともある。私は無神論者ですが、信じる人がいるとすれば、そういう究極の愛を体現してくれる人です。
──歌詞の最後には、「私は不思議の国のアリスみたいなお伽噺の女の子じゃない」というような意味の英語のフレーズが出てきます。
黒木:大学生の時に、後輩の女の子たちに「不思議の国のアリスみたいですね」って何度か言われることがあって、その言葉の中に可憐で無垢な少女像のニュアンスを嗅ぎとったのです。「私はそうじゃない」と思わせるものが含まれているような気がした。さらに言えば男の人から感じる視線の中にもその感じがあった。そこに勝手に反発して、いじけているのです(笑)。「好きだよ、素敵だよ」とかいわれても、「あたしはアナタが想っているような綺麗な人間じゃないからね」っていう感情が入っている。
──あと気になるフレーズとして「直線12個集めたら ひとつ出来たよ角砂糖」というのがある。理系っぽい言い回しで、そういえば「骨」の中にも「直線」という単語が出てきます。
黒木:それは逆で、私が文系だからですね。理系だったら直方体が直線12個で出来ているのは当たり前の話だから、わざわざ歌にしないと思う。その点、文系は12本の棒で角砂糖ができるのが発見だから、歌詞にする。まるで特別なことみたいにね。ただそれとは別に、直線は好きです(笑)。何かを直線のフレームから考えることも多いし、例えば竹林とか、小雨が降っているとか、日常にある直線が気になるタイプかもしれない。
──次は「クマリ」という曲です。そもそもクマリはネパールで信仰されている女神の化身、生き神様の名前です。宗教的にはヒンドゥー教と仏教を併合したものだそうです。それでクマリというのは、その地域に生まれ育った女の子の中から選ばれて、初潮を迎えるまで務めるそうです。クマリに選ばれた子は家族と引き離されて、外部との接触を禁じられて「クマリの館」に暮らす。それで初潮を迎えるとクマリを終えて家に帰り、普通の暮らしに戻る。その代わりにまた、新しい少女がクマリに選ばれる。クマリはネパールの各地にいて、つまり同時に複数人のクマリがいるそうです。
黒木:クマリという文化、信仰についての知識は、多分、小さい頃に観たテレビで得たもので、それがどこか頭の片隅に残っていました。それを抱えたまま生きてきて、それとは別に、私は感情表現が下手くそらしくて、親しい人と一緒に会話していても「表情がないね」っていわれることが凄く多い。例えばプレゼントを貰って、内心凄く喜んでいるけど、それを大げさにやると嘘っぽくなって伝わらない気がしたりする。喜びの表現のバランスが下手くそなんです。だから「リアクションが薄い」とか、「感情がない」とか言われるのではないかという不安が常にあった。そんなある日、クマリという女の子が女神様としてずっと生活している様を想像してみたのです。神様は無邪気に笑ったり、他の女の子と遊んだりもしない。悲しくてわんわん泣いたりすることもないだろう。多分、感情表現が上手く出来ない人に育つのではないかと想像した。そしてそれは私と近いものがあるのではないか、と思い当たった。「もし私がクマリだったらどうだろう?」その空想の世界に飛んでいって、私がもしクマリならば、クマリを終えた後に最初に得る感情ってなんだろうと考えた。それは次の代のクマリが現れて、クマリを降ろされた時に感じるジェラシーかもしれない。それが人間としての感情の第一歩ではないか、という発想で作ったものです。曲も民族音楽風に仕上がっているのですが、でも実際にはネパールに行ったことはありません。
──次の「赤紙」という曲も、ある意味「クマリ」同様の、今の日本ではない世界が歌われています。戦後というか、そんな時代背景の中の物語です。
黒木:この歌は時代背景を厳密に設定していません。そもそも私はお祖母ちゃんが大好きで、ここにはお祖母ちゃんのエッセンスが多分に入っています。歌劇団とか戦争の話は、まさしくお祖母ちゃんのエッセンスです。その知識はクマリと一緒で、もともと持っていたもので、そこにテーマとして掲げたのは戦争ではなく父と娘の親子愛です。ただ、分かりきった「父さん、ありがとう」ではなく、この女の子の「ありがとう」には、お父さんへの憎しみとか、お父さんを敬遠する気持ちも織り混じっている。複雑で不器用な娘と父の姿です。それをそのまま書くと生々しすぎるので、時代背景をずらして、そのずれた時代の情景を描くことで、女の子の不器用さを聞く人に嗅ぎとってもらいたかったのです。
──かなりひねった内容なんですね。
黒木:これを書いた時期に、私もちょうど父を亡くしました。うちの親子関係も凄く絶妙で、父がいなくなったことで恨んだり、怒りを覚えたりする対象だった。でもいなくなってしまうと父に対してモヤモヤしていた時期が、明らかに自分のエッセンスになっていたり、アイデンティティーを作っていたりして、それがあるから黒木渚という仕事を今できている。だったら感謝すべきなのかなって思うけど、素直に言えない。そこで「あなたがくれた遺伝子には感謝しています」という、ちょっとひねくれた言い方になっている。
──ある意味鬱陶しい父親を、否定しようと思っても遺伝子が入っている?
黒木:そうですね。半分は確実に入っていますからね。
──そういう屈折した内容とは裏腹に、曲調はPOPですね。
黒木:サウンド面ではメンバーの力をかなり借りているのですが、最初にメンバーが持ってきた曲がモダンだった。最初はアレって思ったけど、やってみたら意外とよかったですね。
──次の「エスパー」という曲。これは一転して歌詞がPOPです。
黒木:エスパーは、あのスプーン曲げのユリ・ゲラーです。彼を妄想しながら書いて、ライブで見せるスプーン曲げも、彼を模している。インチキっぽくて胡散臭いけど、なんか見てしまう。どこまでも好奇心をくすぐってくる。「一体何なんでしょうか?」っていう感じで、好奇心を揺さぶる存在、それがエスパーです。もっと大きい会場になったら、実は人体切断とかやりたい。浮く魔術とか、首が落ちるとか、鳩が出るとか、やりたいですね(笑)。
──一方、「カルデラ」という曲は、黒木さんは九州のご出身ですから、ズバリ阿蘇山ですよね?
黒木:阿蘇山です。カルデラを書いた頃は、本当は凄く明るい曲を書こうとしていた。自分の中で「ビールのCMに出たい」という変な目標があって、明るい曲を書こうとしていた。そうしたら凄く嫌なことがあって、家族にかかわるような問題だったのですが、それで「チクショー」って爆発して、この感情は曲を書いて消化するしかないと思って書いたのがこれです。だからAメロ以外は、個人的な話を書いているのでわかりにくいと思います。でも泣きながら書いていたら、ふとお客さんのことを考えてしまった。この曲を初めてステージで披露する時を想像して、「こういう最低なことに振り回されている私だけど、それでもよかったら、みんな、ついてきて」っていう気持ちが湧いてきて、それがAメロの歌詞になっている。爆発した感情で書いたけど、その噴火口も年月が経って化学反応が起きて、緑色の綺麗な湖になると観光客が集まってくるという内容ですね。折角、ビールのタイアップを書こうと思っていたのに、湧き上がる感情は「毒、針、闇」で、本当に腹が立った。でも爆発の結果、「カルデラ」が出来たから、まあ、ラッキーだったかもしれない。
──最後の曲は「砂金」です。一生懸命探した結果、一粒の砂金が見つかるけど、砂金は渚に流れていってしまう。なんか話が二重構造になっています。
黒木:例えば黒人音楽では、ひとつの物語と見せておいて、実は裏ストーリーがあるという手法がよく使われています。表向きは神様に対する歌だけど、裏では白人に対して奴隷制への不満を歌っているみたいな感じ。この「砂金」もそうなんです。表では奴隷が砂金を発見して、苦しい、苦しい川底をさらう作業から開放されるという話がある。一方、その砂金は苦しみの結晶であり、その結晶が川から渚に流れ出てくると、そこには自由でたくましい精神があって、すごく温かみのある場所だったという話もある。もちろん歌詞の「渚」は、私の渚とかけられていて、お客さんを砂金に見立てて、渚にもっとおいで、おいでと誘っている歌でもあるのです。
──そこまでで早くも三重構造です。
黒木:ところがさらにそれとは別に裏ストーリーがあって、この歌の中には3人の実名が入っていて、その話としても成立するのです。詳しい事情を知っている人には、ドキッとする内容になっている。
──リアルに私小説になってきました(笑)。あんまり詮索して炎上するといけませんので、この辺で止めておきます。黒木さんは物語を小説の形式で書こうという気はなかったのですか?
黒木:小説を書く趣味はないですね。文章は日記だけで、これは十数年続いています。自分のことを上から見下ろして、そういう目線で書きますから、自分が主人公の物語を書き写す感覚はありますけど。
──因みに作詞は手書きですか?
黒木:そうです。いつもノートを持っています。何でも書くノートなので、いつでもどこでも思いついたらさっと出して書きます。それで語彙を集めていって、歌詞にしていきます。
──創作は曲が先ですが、歌詞が先ですか?
黒木:メロと歌詞はほぼ同時に出てきて、タイトルが最後で、一番悩みます。本の背表紙みたいなもので、それが面白くないと手にとってもらえない気がするし、かといって面白いだけじゃだめで、テーマを反映していないといけない。絶妙なバランスが難しいです。
──では最後に、ファンの方へメッセージをどうぞ。
黒木:黒木渚はライブが本質なので、ぜひライブ会場に来て下さい。そこで色々な感覚が開かれる体験をして貰いたいです。
──黒木さんの圧倒的なボーカルも聞きものです。因みに小さい時から歌は得意だった?
黒木:いいえ、めちゃくちゃ音痴でした。寮生活の中で音痴を直したのです。
──どうやって?
黒木:2年間、バケツをかぶって毎日歌を歌った。最初に学校に隠れて買ったCDがセリーヌ・ディオンだったので、それをバケツの中で歌いまくった。そもそも音痴が歌う曲ではないのですが、お手本にしてずっと練習しました。本当は自分の音痴に気づいてなくて、実はわりと上手な方だと勘違いしていた。ところが音楽のテストで赤トンボをひとりで歌うことがあって、私の番になって歌ったら、クラス全員が笑って膝から崩れ落ちた。「あれ?なんかおかしい」と思って、後で音楽の先生に「どうなんですか?ぶっちゃけ私は歌が上手いのか、それとも下手なんですか」って聞いたら、「上手な方じゃないよね」って言われた。それも私を傷つけまいと、大変気を使った感じで言われちゃった。それが中学二年生の時で、そこから孤独な特訓が始まったのです。
──最後にとんでもエピソードが出たところで、今日は歌詞について、非常に興味深いお話をありがとうございました。
黒木:私は作品を書いたら、解釈はお客さんに全部任せちゃう派なんです。一応、こっちとしては、物語はあるのですが、お客さんによっては全然違うものになっている。それでかまわないのです。でも例えばうちのバンドのサポート・キーボードは、「カルデラ」を「子供をコインロッカーに捨てる歌だろ」とか意味不明のことを言う(笑)。どこをどう解釈したらそうなるのか?まったく、人によって受け取り方が色々あるのは本当に面白いですね。
【LIVE情報】
6月09日(日)【名古屋】SAKAE SP-RING 2013
6月30日(日)【名古屋】APOLLO THEATER w / Suck a Stew Dry 他
7月06日(土)【大阪】見放題2013
7月18日(木)【東京】下北沢ClubQue w / チリヌルヲワカ
8月23日(金)【名古屋】TREASURE05X 2013
8月25日(日)【東京】DISK GARAGE MUSIC MONSTERS-2013 summer-