2003年12月、ホルストの組曲『惑星』の中の1曲「木星」に、独自の日本語詞をつけてカヴァーした「Jupiter」で鮮烈デビュー。今年、10年周年を迎える平原綾香が、これまでの全シングルのタイトル曲32曲を網羅した記念アルバム『10周年記念シングル・コレクション〜Dear Jupiter〜』をリリース。
10年間の軌跡を辿るアルバム・リリースを目前に、ご本人を迎えてのロング・インタビュー。歌手・平原綾香の原点である「Jupiter」への熱い想い、転機となったと言う「ノクターン」の思い出、独特の作詞方法から、これからの目標まで、たっぷりお話を伺いました。
──今年でデビュー10周年。まずは、ご自身で振り返ってみて、いかがですか?
すっごくうれしいですね。あっという間という感じもするんですけど、やっぱり10年って長いと思うんですよね。10年やってこれて、こうやって、記念のシングル・コレクションも出せて、ほんとにうれしく思います。
──10年前は、どんな未来を想像していましたか?ずっと歌っているはずだという揺るぎない信念みたいなものは、その時点であった?
ありましたね。もう、音楽しかなかったので、絶対に音楽で夢を叶えていくぞという気持ちは持っていました。
──シングル「Jupiter」でのデビューが2003年12月。と言う事は、10年前のちょうど今頃というのは、デビューに向けて準備を進めていた頃?
その年の4月に大学に進学して、ちょうど「Jupiter」に出会った頃です。音楽理論という授業の中で、色々な曲を聴いた中の1曲だったんですけど。
──それ以前にも耳にする機会はあったかと思うのですが?
聴いてはいたと思うんですけど、ホルストの「木星」として、メロディーを意識して聴く機会はあまりなくて。本当に、この授業で“出会った”という感じなんです。
──衝撃の出会いだった?
授業中にも関わらず、涙が止まらなくなっちゃって。何とも言えない懐かしさのようなものを感じて、ずっと会いたかった人にやっと会えたと言うか。ビビビっときたんです。運命の人!みたいに感じて。
──その時点では、もうデビューに向けて楽曲作りが進んでいた?
まさにデビュー曲を決めるタイミングでした。実は、その時点では、既にデビュー曲の候補というのは決まっていたんですね。だけど「Jupiter」と出会ってしまって。この曲を絶対にデビュー・シングルにしたいって思ったんです。
──平原さんが歌いたかった事と「Jupiter」のメロディーが一致した?
その前年に、9.11(アメリカ同時多発テロ)があって、世界がとっても不安な時期だったんですよね。そんな時に、私は歌い手として何ができるだろうって考えたんです。世界が悲しみに包まれている時、音楽で何ができるんだろうって。私自身、音楽に助けられた事がたくさんあって、音楽に心を癒して貰って、たくさんの勇気を貰って生きてきたから、自分がデビューする事になった時、今度は発信する側の立場として、私はどんな事を伝えていくべきか。辛い時には、どんな音楽が求められるのだろうか、人の心を癒す音楽って何だろう。そういう事を深く考えるようになっていました。
──そんな時に、「Jupiter」に出会った?
そうなんです。ホルストの「木星」は、心を癒してくれる、慈悲のある、心を救うメロディーだった。そのメロディーに乗せて、自分の想いを歌いたいと強く思ったんです。
──当時、18才の平原さんは、どんな事をメッセージしたいと思ったのですか?
事件の1〜2年前に、ボストンにいる姉を訪ねてアメリカに行った事があって、その時、ニューヨークにも寄って、貿易センタービルもこの目で観てるんですね。それが、跡形もなくなってしまう。自分のこの目で確かに見たものが今、テレビの中で崩れていくというのはすごい衝撃で…。世界平和を唱えるとか、そんな大それた事を思ったわけではなく、世界が平和である事も、家族みんなが平和である事も、自分の心が平和である事も、全て切り離せないし、全て繋がっているんじゃないかなと思ったんです。どれも同じように大切なものだと思うし、自分の心が平和じゃないと世界も平和にならないような気がして。世界が平和であるようにというのはとても大きなテーマだけれども、それを、とても身近にある、私たちの心のそばにあるメッセージにしたいなと思ったんです。そんな時に、アシュリー・ヘギちゃんのドキュメンタリー番組を観て、その想いが一層強くなりました。
──プロジェリア症候群という難病を患ったカナダの女の子ですね。日本でも、テレビ報道等で有名になった。そのドキュメンタリー番組をご覧になって?
プロジェリア症候群というのは、体の老化が極端に早く進む難病なんですが、そんな難病を抱えながらも、彼女が“生まれ変わってもまた私に生まれたい”と言うのを聞いて、その時も、いっぱい涙が出て、アシュリーちゃんに“ありのままでいいんだよ”って教えられた気がして。それから、彼女とお母さんの深い絆にも感動して…。
──アシュリーちゃんのお母さんというのは、17才という若さで彼女を出産しているんですね。そんな若いお母さんが、生まれた子供が難病だと知ったら、さぞかしショックだったでしょうね?
そうですよね。お母さんも最初は娘とどう接していいかわからなくて、お酒に走ったり、自暴自棄になったりした時期もあったそうなんですけど、やっぱり、この子の助けになりたい、この子のために今自分に何ができるんだろうって考えて向き合うようになった、と。それで、そういうお母さんの大きな愛というものも描きたいなと思って。
──その想いも「Jupiter」と重なった?
木星というのは、地球にとって、お母さんのような存在でもあるんですよね。木星の強い引力が隕石を引き寄せているので、そのお陰で地球に隕石が落ちないんだと聞いて。なんだか、木星が体を張って、地球を守ってくれているような気がして。母と子の愛、絆というテーマも、「Jupiter」にピッタリなんじゃないかと思ったんです。
──作詞は、吉元由美さんですが、当初は平原さんご自身が歌詞も書こうとしていたとか?
そうなんですよ。最初は、頑張って書いていたんです。でも、なかなかうまく表現できなくて…。私が書いた詞を吉元さんにお渡しして、新たに歌詞を書いていただきました。私が書いたフレーズも、いくつかはそのまま残っていますけど、私では到底書けなかった素晴らしい歌詞を書いていただいたと思います。自分が書いた歌詞をプロの作詞家さんにお渡しするのって失礼なんじゃないかと思ったんですけど、でも、どうしても伝えたい想いがあったから、思い切ってお渡しして見ていただいたんですけど。吉元さんとは、ロイヤルホストで語り合いました(笑)。
──完成した歌詞を初めて読んだ時は、いかがでしたか?
本当に私の想いを深くくみ取ってまとめてくださって感激しました。私が伝えたかった事はこういう事だったんだと、自分自身で再認識する部分もあったし、こういう心もあるんだなと教えていただいたフレーズもあります。あの時、吉元さんに歌詞を書いていただいて、本当に良かったと思います。
──メロディーも歌詞も出会うべきして出会った。色んな要素が運命の出会いを果たして1つになった。そんな1曲ですね?
そうですね。「Jupiter」は、私にとって大切なデビュー曲ですし、「Jupiter」があったからこそ、色んな人との出会え、色んな曲、色んな場所とも出会えたわけで、「Jupiter」には本当に心から感謝しています。
──10周年記念シングル・コレクションに“Dear Jupiter”とつけたのも、そんな想いから?
もちろんそれもありますが、でも、「Jupiter」だけではなく、“Dear ホルストさん”という想いもあるし、これまでのアルバムの1曲1曲も愛しく思うし、“Dear お客様”という気持ちもあるし。“Jupiter”は、私が感謝し、大切に思っているもの全ての象徴でもあります。