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──日本各地をテーマとしたアルバム『ニッポンの唄〜あいのうた〜』は、47都道府県弾語り 自走ツアーがあったからこそ生まれた作品だと思います。第1回目の自走ツアーは2007年のスタートでしたが、どんな動機から思い立った事だったのでしょうか?
1998年に“19”でデビューしてから、ずっと東京で音楽をやり続けてきて10年が経って、ちょっと広島が恋しくなっていたんですよね。帰りたいなという気持ちが強くなって、その時点では、東京を引き払って、拠点を広島に移そうと思っていたんです。それで、最後に、47都道府県、日本全国を見聞して回ろうと。それがキッカケです。
──卒業旅行で見聞を広げよう、みたいな感覚?
正にそうですね。人生の卒業旅行みたいな感覚でした。“最後の大仕事”と思っていましたから、エネルギーを使い果たしちゃおう、ボロボロになって帰ろうって思ってましたね。
──でも、結局、広島にはお帰りにならなかった。それは、なぜ?
単純明快なんですけど、47都道府県を走破してみたら、すっごく楽しかったんです。これをライフスタイルにしてもいいかなって思ったんですよね。
──それ以前の“19”“3B LAB.☆S”でのライヴツアーとは異なる感覚?
全然違いましたね。音楽って、こういう楽しみ方もあるんだなって。飛行機や電車を使わなくても、ツアーはできる。要するに僕はトラックの運転手なんですよ。長距離トラックの運転手をやりながら、音楽もできる。これって、素晴らしいなって。
──ほんとにほんとに、自走したんですか?
これね、みなさんに必ず聞かれるんですけど、事実なんです。飛行機、列車は一切使わず、沖縄もフェリーで行きました。鹿児島新港からかなりの時間がかかりました!
──スタッフ、マネージャーも同行せず?
大都市の大きな会場の時だけチームで回りましたけど、基本は僕一人です。
──ホテルも一人でチェックイン?
駐車場付きのホテルを予約しておいて、“予約してます岡平ですが…”“お一人様ですね?”“はい”って、チェックインして(笑)。
──洗濯などもご自身で?
してましたよ〜。ホテルのランドリーサービスってべらぼうに高いんですよね。だから、コインランドリー・スペースに行って、衣装も自分で洗ってました。衣装と言っても、僕の場合は、Tシャツと半パンくらいなんですけど。自分で洗濯するようになって、衣装もすっごく大事にするようになりましたね。以前は、ライヴツアーと言えば、大勢のスタッフがいて、何から何まで僕の自由になったわけではないけど、その反面、色々な面でサポートして貰っていた。いい意味で、自由がなかったんですよね。でも、自走ツアーは、ほんとに僕一人ですから。移動、宿泊、楽器の搬入から衣装の用意まで、音楽活動と言うのは、そういう仕事をやってくれる人がいて成り立っているんだなって、それを実感する事もできました。
──今回のアルバムの発想は、どんな所から?
実は、各地の歌というのは、19時代からたくさん作ってきていて、例えば「大自然」という曲は小渕沢の歌だったり、 3B LAB.☆の「山茶花 谷町線」は、僕の大阪時代の恋の思い出だったり。いわば、僕自身のライフワークでもあったんですよね。それを、より明確にしたいと思ったんです。3B LAB.☆Sを休止する直前に『日本 #5』というアルバムを作ったんですけど、僕の中では、日本を表現しきれなかったという想いがあって。今ならもっと見えるものがあるんじゃないかと思ったんです。“ご当地ソング”というのは演歌には多いけど、J-POPでは、ありそうでなかった企画でしょう。だから、面白いなとも思ったし。
──確かに、ありそうでなかった企画ですね?
でも、実は、僕と全く同じ企画を40年以上前にデュークエイセスさんがやっているんですよ。『にほんのうた』シリーズ(1966〜1969年にシリーズ4作をリリース)で47都道府県それぞれの歌を歌われているんです。ドリフターズでお馴染みの「いい湯だな」も、その中の1曲で、あれは群馬県のご当地ソングとして作られた曲なんですよ。僕は、47曲にとどまらず、1,000曲くらい作ってやろうと思ってるんですけど(笑)。
──制作に当たっては、何かご自身の中で決めたルールなどありますか?
その土地の事をしっかり歌うのと同時に、単にその土地を描写するのではなく、僕自身の体験も交えて、そこにドラマを生み出したいなと思いました。フィクションもノンフィクションもありますが、どの曲も、ほんとに僕が体験、体感したものですね。
──それでは、順番に1曲ずつお聴きしていきたいと思います。まずは1曲目「意図伝話 〜ニッポンの唄 東京〜」ですが、タイトルの「意図伝話」は、“糸電話”の語呂合せ?
そうです。“意図的に伝えたい”という意味も含めてます。どれだけ世の中が便利になっても、コミュニケーションの基本は、1対1で会う事だと思うんですよ。“糸電話”は1対1でしょう。そして、その糸は張りすぎても切れちゃうし、緩み過ぎても聴こえない。人と人とのコミュケーションは、少しの力で保てばいいんだという事を、僕達は、糸電話という遊びで学んだはずだよねって。そういう歌なんです。
──それが、岡平さんの“今の東京”の歌?
そうですね。リアルな人間関係が薄れているんじゃないかという東京人への警鐘ですね。僕も既に東京人なんですけど、僕自身も含めて、“東京人よ、何か忘れてしまっていないかい?”という問いかけですね。
──東京から出発して、次の舞台は函館ですね。「雪桜 〜ニッポンの唄 函館〜」は、函館を舞台とした別れのストーリーですが?
今回は、平義隆さんに作詞で参加して貰った曲が5曲あるんですけど、この曲も平さんの歌詞が主軸となっています。“日和坂”という地元では有名なスポットが出て来ます。桜の名所でもあるんですけど。そこを舞台に、物語として作った曲ですね。
──最後のラップの部分で、“光”という単語を連呼していますが、函館山から見る夜景は、きっとこんな高揚感なんでしょうね?
函館山には何度も行っているんですけど、まさに“百万ドルの夜景”ですよね。ほんとに壮観です。僕は“光”という言葉が大好きなんですよ。「光」という歌も作っちゃってますからね。文字としても“光”は、漢字の中で一番カッコイイと思うんですよね。バランスもいいし、ほんとに光ってる感じがするんです。ラップの部分は、僕が書いたんですけど、“光”に対する僕の想いが詰まっていますね。
──「今宵、ひと月遅れた七夕物語 〜ニッポンの唄 仙台〜」も別れの歌ですね。想い合っている二人なのに、何かを決意して、男の方から去っていく…そんなストーリーですが?
これは、僕のリアル体験です。かつて、仙台で大恋愛した事があるんです。お互い、好きなのに結ばれないんですよ。そういう事ってありますよね。ずっと一緒にいたいのに、だけど“僕は行くよ”って。もう数年経ちますけど、今振り返ると、男女の恋愛を通り越して、人と人のぬくもりだったなって。僕にとっては“恋”ではなくて“愛”でしたね。
──♪僕は君から消える〜、♪僕は君を守れない〜というフレーズがとても印象的ですが、好きなのに去っていくというのは、理解できない人もいるでしょうね?
大人にならないとわからないと思うんですよね。お互いに好きなら一緒にいればイイじゃん。なんで消えるの?って。だけど、自分から消えなくちゃいけない時もある。だから、別れを選ぶ。そういう人間愛もあるんだよって。
──「和願愛語 〜ニッポンの唄 千葉〜」は、四字熟語をタイトルにしてますよね?
この曲も、平さんと一緒に書いた曲です。“和願愛語”というのは、人に笑顔をあげられるような人でありたいという意味ですけど、この曲は、みんなに元気になってほしくて作った曲ですね。
──そのテーマが“千葉”と結びついたのは?
今回の「雪桜」もそうだったんですけど、僕のプロモーション・ビデオって千葉で撮影しているものが多いんですよ。だから、すごく思い出もあるし、親近感のある土地なので。
──“穏やかな励まし”そんな風に感じました。叱咤激励ではなく、ゆるやかに励まされる歌だな、と。
そうですね。伝えたかったのは“一人じゃないよ”という事なんですけど、ダイレクトにそう言わずに、そのメッセージが伝わる歌になったと思います。
──そして、歌詞の中には、千葉県の特産物“落花生”が歌い込まれてますね?
そう、こっそりね(笑)。今回は、他の曲でもこういう仕掛けはたくさんあります。