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UTAMAP review
大知正紘大丈夫、繋がってる。Relation Disc「手」9/8リリース! 大知正紘ロングインタビュー
│ 1 │ 2あなたの“手にまつわる”思い出を大募集!ShowCase Liveにご招待!
大知正紘「手」リリース記念!投稿大募集!!あなたの手にまつわる思い出を大募集!頭をなでてくれた、お父さんの大きな手。背中をさすってくれた、お母さんの優しい手。好きな人と初めて手を繋いだ時のドキドキ。元気でと、交わした別れの握手。友を殴ってしまった、にぎり拳・・・etc。投稿してくれた人の中から、抽選で大知正紘 Show Case LIVE にご招待!
NEW
「手」
CDタイトル名など amazonから購入
シングル
発売:2010.09.08
Driftwood Record
AKOM-10001/AKOM-10002
2枚組 \1,000(税込)
収 録 曲
01.
02.星詩
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究極の2枚組!!【Relation Disc】
Relation Disc
「手」は、全く同じ内容のCDが2枚セットとなった“Relation Disc”。1枚は自分の手元に、もう1枚は大切なあの人へ。あなたと大切な人を“繋げる(Relation)CD”です。
あなたは、もう1枚を誰に贈りますか?
Official Web Site
大知正紘
1991年(平成3年)生まれ、三重県伊賀市出身の19歳。2008年、テレビ朝日系“ストリートファイターズ”の“平成生まれ限定オーディションHジェネ祭'08”に出場。バンドばかりの応募の中、ギター1本の弾き語りスタイルで異彩を放ち、決勝大会まで進出。審査員特別賞を受賞し、デビューのキッカケを掴んだ。2010年3月、配信&レンタル限定のシングル「さくら」でデビュー。
“繋がり”こそが、永久不滅の歌のテーマだと言い切る大知正紘。小学校でイジメに合い、その反動で中学ではイジめる側に周り、自分が何者なのかわからなくなった高校時代。それでも、自分を見失わず、音楽の道に進む事ができたのは、自分を支えてくれた多くの人との“繋がり”があったから。だから歌うのだ、と大知正紘は言う。
いよいよリリースとなる初のパッケージ作品「手」。大丈夫、繋がってる。・・・大知正紘の心強いメッセージが伝わって来る1曲だ。

平成生まれの19才。音楽の原点は、ELLEGARDEN。初めて「Missing」を聴いた次の日からギターの練習を始めました。

──平成3年生まれ、19歳の大知さんですが、音楽を始めたのはいつ頃?
中学2年生の時に、ELLEGARDENを知って、すっごい衝撃を受けて、その次の日からギターの練習を始めました。
──それほどの衝撃があった?
それまでは音楽にあまり興味がなかったんです。でも、テレビのランキング番組で、ELLEGARDENの「Missing」を初めて聴いた時、PVが数秒流れただけだったんですけど、♪重なって少し楽になって〜というフレーズが耳に飛び込んで来て、その声と音に撃ち抜かれちゃったんですよね。
──それで次の日から、ギターを?
僕もバンドをやりたいと思って、即効でギターの練習を始めました。父が以前にバンドをやっていたので、家には何本もギターがあったんです。その1本を貸して貰いました。
──いきなり、ギターを弾きたいと思っても、どんな事から始めたのでしょう?
その頃、ドラマ“ウォーターボーイズ”が流行っていて、その主題歌の「虹」(福山雅治)がすごく好きだったので、練習曲に選びました。最初に出てくるコードがDとGで、それだけは父が教えてくれたんですけど、後は自分で掴めって。当時、お小遣いを貰っていなかったので、コードブックを買うお金もなく、仕方ないから、自分で色々押さえて見て、どう押さえたらどんな音が出るのか1つ1つ探りながら自分でコードを見つけていきました。
──誰もがぶち当たるFの壁は?
「虹」の次にトライしたのが「桜木町」(ゆず)だったんですけど、そこにいきなりFが出て来まして、1ヶ月くらいかかって何とかそれっぽい音が出るようになりました。ちゃんと押さえられていないんだけど、気持ちで鳴らしてました(笑)。

中学3年生でバンド結成。晴れの舞台は“三年生を送る会”(笑)。その頃から、もうプロになる!と思っていました。

──その後、憧れのバンド活動へ?
家に父のギターがたくさんあったので、友達を呼んで、みんなでギターを始めたんです。ここは、こういうコードみたいだとか、みんなでワイワイやりながら楽しんでたんですけど、だんだん、挫折する人とか飽きちゃう人とか出て来て、最終的に僕を入れて残った3人でバンドをやろうと。僕がギター&ヴォーカルで、それにベースとドラムという構成。でも、ベースもドラムも何をどうしたらいいのかわからない。で、僕が耳コピして覚えては、それを友達に教えるというやり方でスタートしました。もちろん、最初にカヴァーしたのは、ELLEGARDENです(笑)。
──オリジナル曲を作り始めたのは?
バンド結成と同時に、もう作り始めていました。その時点でもうプロになりたいって思っていましたから。
──14〜15才の男の子が歌にしたい想いって、どんな事だったのでしょう?
友達との事だったり、好きな女の子の事だったり、学校生活の中でのモヤモヤしたものを音にして鳴らして発散するという感じでしたね。
──発表の場としては?
晴れの舞台は、中学卒業の時の“三年生を送る会”でした(笑)。送られる側なのに、そのお礼という理屈をこねて、無理やり出演。黒の詰襟のボタンを一番上までキチンと止めるという約束でバンド演奏をやらせて貰いました。その時の映像は、今でも実家に残っているんですけど、もう聴けたもんじゃないですね(笑)。

卒業までにプロへの道筋をつけておきたかった。だから、高校3年生の時は、オーディションを受けまくりました。

──“Hジェネ祭”に出場したのは高校3年生の時。ソロでの出場だったわけですが?
高校でも新たにバンドを組んだり、アコースティック・ユニットをやったりしてたんですけど、練習時間の調整とかそういう時間がもったいなくて。僕は、卒業後は、音楽で食べて行くと決めていたから、少しでも多く練習したいし、1曲でも多く新曲を作りたかった。だから、一人の方が身軽だし、一人でやる事にしたんです。
──プロになると言う決心は、ますます強いものになっていた?
はい。だから、卒業するまでに、その道筋をつけておきたかったんです。それで、高校3年生の時は、オーディションを受けまくりました。卒業後に大阪とか東京に出て、そこで音楽活動を新たに始めるという方法もあったんですけど、それには、お金もかかるし、一番効率の良い方法は何だろうと考えて、オーディションという結論に至ったんです。絶対にプロになりたいと思っていました。

地元・三重県伊賀市から、大阪へ“路上ライヴ”遠征。路上で学んだのは、“自分が動けば何かが変わる、変えていける”という事。

──それほど強いプロ志向を持っていたという事は、音楽活動もかなり活発に?
地元の伊賀には、ライヴハウスはなかったので、路上がメインでした。でも、地元でやっていると、友達付き合いの延長で、お客さんとの関係性がどんどん身内感覚になっていく。自分の歌は、誰も知らない所で通用するんだろうかと疑問を抱くようになったんです。それで思いきって、休みの日は、大阪へ出て路上ライブをやるようになりました。
──大阪は、どのあたりで?
京橋、梅田、天王寺が多かったですね。
──大阪の街頭で、いきなり歌い出した?
“ど〜も〜大知正紘でーす”とか言えない性格だったので、黙って歌い始めたんですけど、最初から、大勢の方が立ち止まってくれて。少しずつ“まだ高校生なんです”とか“三重から来ました”とか、曲の間にそんな話もできるようになっていきました。終わった後で“お前も頑張ってんねんな”ってメシを奢ってくれる人がいたり。
──大阪での路上ライヴで得た事は?
自分が動けば何かが変わる、変えて行けるという事ですね。自分から動いていけば、何かが生まれる。どんな事も気持ち発信でやったら通じるんだって。色んな年齢の色んな職業の人と出会って、いっぱい刺激を受けて、ますますプロ志向が固まりました。
──“Hジェネ祭”のオーディションを受けたのも、そんな頃?
一昨年、高校3年生の夏です。三重県だから本当は東海ブロックになるんですけど、僕は大阪で活動してたから、関西ブロックに出場したんです。
──審査が進んで行く時の心境は?
絶対に勝ち取らないといけないと思っていました。地元はもちろんですけど、大阪でも大勢の人が応援してくれていたし、エリア代表となった時は、出場していたみんなが壮行会をやってくれて、とにかく、その応援に応えたかった。自分の歌は、絶対に届くはずだという強い気持ちでやっていました。
──審査員特別賞を受賞して、それがデビューのキッカケとなったわけですが、本人としてはどんな風に受け止めましたか?
今の実力と言うより、将来の可能性を買ってくれたんだろうと思いました。だから、もっともっと歌もうまくなりたいし、ギターもうまくなりたい。もっともっと歌も作っていきたいし、一人の人間として、しっかりしていきたいなと思います。

誰との繋がりもなく、信頼関係もなく、全く自分が必要とされていない中で、生きる意味を見い出すのは難しい。“繋がり”は僕の歌の永久不滅のテーマです。

──3月に「さくら」で配信デビューして、いよいよ初のパッケージ作品をリリース。本格的なデビューとなるわけですが、大知正紘にとっていちばん大きなテーマは?
今回のシングル「手」のテーマでもあるんですけど、やっぱり“繋がり”という事ですね。永久不滅のテーマです。
──“繋がり”って、そんなに大事ですか?
大事です。人は絶対にひとりでは生きていけないし、自分が何かを思い考えたとしても、人がいなかったら何も生まれないわけだし、やっぱり、繋がりがないと生きていけないと思います。
──大知さんが大切にしていきたいと思う“繋がり”とは?
僕に生きる力をくれた人だったりとか、一緒に1つの目標に向かって頑張った仲間だったりとか、同じ時間を共にして、自分の事をわかってくれている人です。
──いつも誰かと繋がっていたい?
心の深いところでは、そう思っています。
──ひとりでいるのは、イヤ?
電話もネットもあるし、CDを聴いていても、テレビを観ていても、それも誰か繋がっているという事だから、ひとりでいても、淋しさを感じる事はないですけど、本当のひとりぼっちというのは、やっぱりイヤです。誰との繋がりもなく、信頼関係もなく、全く自分が必要とされていない中で、生きる意味を見い出すというのは難しいと思います。だから、それを失いそうになった時に、すごく恐くなるんですよね。

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September 10, 2010
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