※左から、TAXMAN(G&Cho)、ROY(Vo&B)、JIM(G&Cho)、MARCY(Dr&Cho)
2009年4月にメジャー・デビュー。そのメジャー・ファースト・アルバム『THIS IS MY STORY』が、第2回CDショップ大賞を受賞。最新シングル「HOT DOG」は、オリコン・ウィークリー・チャートで7位を記録するなど、快進撃を続けるTHE BAWDIES 。
2本のギターに、ベース、ドラムというシンプルな構成で、実に多彩なサウンドを生みだす確かな演奏力。端正なルックスからは想像もできないヴォーカルROYのしゃがれたシャウト。プロモーション・ビデオを一見するだけでも、伝わってくる底抜けの明るさと楽しさ。ルーツ・ミュージックに忠実だった『THIS IS MY STORY』から一転。2ndアルバム『THERE'S NO TURNING BACK』は、“鎖国がようやく解けて、初めて外洋に飛び出した気分”(ROY)と言う通り、仲よし4人組のよく喋り、よく笑うキャラが、そのまま音に反映された、とにかく楽しいアルバム。いったい、どんな心境の変化が?THE BAWDIES を代表して、ROY(Vo&B)とTAXMAN(G&Cho)にインタビュー!
──2ndアルバム『THERE'S NO TURNING BACK』が、いよいよリリースとなりました。まずは、率直に今、どんなお気持ちですか?
ROY:こんなに肩の力を抜いて、持っているものを全て吐き出した作品というのは初めてなんですよ。僕らは、結成以来ずっと、ルーツ・ミュージックに忠実でありたい、と思い続けて来たんですけど、今回は、そこから一歩先に進む事ができました。
──そうした変化が生じたのは?
ROY:やはり、昨年メジャー・デビューする事ができて、『THIS IS MY STORY』という作品が、みんなに受け入れて貰えたというのが大きいですね。
──『THIS IS MY STORY』は、メジャー・ファースト・アルバムにして2009年第2回CDショップ大賞も受賞。本当に2009年は大躍進の年となりましたね。
ROY:CDショップ大賞は本当にうれしかったです。もう、単純にうれしかったとしか言いようがないです。多分、僕らがバンドを始めた時に想い描いていたゴールが、『THIS IS MY STORY』だったんだと思うんですよね。自分達が選んだレールの上を着実に一歩一歩進んで来た結果、到着点となったのが『THIS IS MY STORY』だった。でも。そこから先にはレールはないんだって気づいたんです。そこから先は、全くの自由なんだって。僕らは、ずっと鎖国を続けて来たんですけど、それが、ようやく解けて、初めて外洋に飛び出した。今は、そんな気分なんです(笑)。
TAXMAN:確かに鎖国が終わったっていう感じですね(笑)。いい意味で自分達を解放できました。
──そこまで、ルーツ・ミュージックに忠実でありたいと思ったのはなぜ?それほどに衝撃的な出会いだった?
ROY:キッカケは、THE SONICSだったんですけど。たまたま、僕とJIMがレコード屋さんに入った時、店内BGMで、THE SONICSが流れていたんです。“お〜何だこれ〜”って。めちゃくちゃカッコ良かったんです。すっごく激しくて生々しくて、それまで聴いた事のない、人間の内面から湧き出るエネルギーと言うか、裸足で裸のまま突っ走るようなエネルギーに圧倒されたんですよね。とにかく、ぶったまげて、店員さんに“今かかってるの何ですか?”って聞いたんです。で、即効で“それ、ください”って(笑)。それが、THE SONICSだったんです。
──4人ともハマった?
ROY:僕とJIMとMARCYは、小学校から大学までずっと同じ学校で、TAXMANが高校から入って来て、何をするのも4人一緒で、もう兄弟以上の繋がりで。誰かがイイと言ったものは、必ずみんなも好きなんです。その時も、4人揃って、THE SONICSに夢中になって。
TAXMAN:僕らは、最初、THE SONICSって現代の新しいバンドだと思ったんです。“すっげーバンドが出て来た〜!”って。すごい先取りした気になっていたら、実は、60年代のアメリカのガレージバンドだった。
ROY:“え〜っビートルズと同じ時代のバンドなの〜!?マジで〜”って。僕らの親達よりも上の世代の人が、こんな激しい事を、しかも70年代のパンク以前に?こんな事ってあり得るのかって。そこから、もう4人揃って、THE SONICSに夢中になっちゃって。こういうバンドを聴きたいし、観たい!だけど、40年以上も前のバンドなんだから、聴けないし、観れないじゃんって。“じゃあ、俺らがやるしかないんじゃないの”って。
TAXMAN:高校3年生の時でしたね。一気に盛り上がって“やろう、やろう、俺らでやろう!”って。その初期衝動が原点なんです。
──そこから、ルーツ・ミュージックに傾倒していった?
ROY:THE SONICSのあのエネルギーって何なんだろう、どこから生まれて来るんだろうって。そこから始まって、THE SONICSがカッコイイのは、彼らがしっかりとしたルーツ・ミュージックを持っていて、それを彼らなりに解釈してやっているからだという事に至り、そのルーツを辿って行ってみたら、まず、リトル・リチャードという人が出てきて、ジェイムス・ブラウン、サム・クック、オーティス・レディングと次々すっげー人が出て来て。更にそれ以前の、ロバート・ジョンソンとか、ハウリン・ウルフ、マディー・ウォーターズと言った50年代終わりのブルースまで戻って、そこから、リズム&ブルースに行って、そして、ソウルに行ってという順番に辿って行ったんです。それで、ブラック・ミュージックのエネルギー・・・あのシャウトはやっぱり、ゴスペルから来てるんだとか、3コードの進行はブルースから来てるんだとか、そういう事が理解できるようになってから、THE SONICSを聴いたら、また違う聴き方が出来たんですよね。それで、THE SONICSのようなオリジナリティーのある音楽を作ろうと思ったら、彼らと同じくらいブラック・ミュージックを吸収してからでないとダメだろう、と。その時から、僕らの鎖国時代が始まったんですけど(笑)。
──そこから、ずーっと、ルーツ・ミュージック・オンリー?
ROY:はい(笑)。僕ら4人とも、とことん突き詰めないと気が済まない性格なんで、もう、そこからは、ルーツ・ミュージックだけ。現代の音楽は、自分達の中に入れないようにして来ました。それこそ、50年代後半から60年代にかけて、アメリカからリズム&ブルースがイギリスに入って来て、みんな熱狂した・・・ビートルズ登場前夜のような状態を自分達で作り込んで、その中に閉じこもったんですよね。完全に鎖国(笑)。
──それで、何を?
ROY:ひたすらコピーしたんです。60年代のサウンドが、自分達から自然と出て来るようになるまではバンドを組むのはやめようって決めて、来る日も来る日もずーっとコピー。コピー同好会みたいなノリで、4人でスタジオに集まっては、コピーばっかりやってました。それを3年くらい続けたんです。
──ROYさんのシャウト。あのヴォーカルもコピーから?
ROY:はい、ヴォーカルもコピーから(笑)。少年は、誰かに憧れると、その人になりたいって思うものでしょう。僕は、本当に、リトル・リチャードになりたいと思った。それこそ、黒人になりたいと言う度の過ぎた憧れすら持っていたので、毎日、朝起きたら歌うというのを日課にして、カセットテープに録り続けた。それを3年間やり続けたんです。リトル・リチャード、ハウリン・ウルフ、オーティス・レディングのヴォーカルをコピーし続けたんです。
TAXMAN:当時、バンドをやっている友達は多かったけど、みんなギターやドラムの音にはすっごくこだわるくせに、ヴォーカルの声質には無頓着。自分の声で歌っているだけ。それに比べて、ROYはスゴイなって思いましたね。どんどん、声が変わって行って、自分であのシャウトをモノにしていった。
ROY:3年間続けたら、やっぱり、変わるんですよ。1日も欠かさず、毎日続ければ自分のスタイルになる。それが今に繋がってますね。
──そして、ようやくバンド結成?
ROY:3年経って、コピーを楽しんで出来るようになって来たので、そろそろ、バンドを始めてもいいんじゃないかって。それが2003年の暮れで、“じゃ、キリが良いから、2004年1月1日にバンドを結成しよう”って。THE SONICSと出会ってから、バンド結成までに3年かかってるんです。
──THE BAWDIESというバンド名はどんな風に?
ROY:やっぱり、ルーツ・ミュージックにちなんだ名前にしたかったので、ブルース用語から引用しようというのが1つ。それと、やっぱりビートルズは最高のロックンロールバンドだから、あやかってBで始める名前にしたいと思ったのが1つ。ブルースの曲に「BAWDY BLUES」と言うのがあって・・・女性の事を歌った凄くスケベな歌なんですけど(笑)・・・そこから、BAWDYという単語をいただいて、BAWDIESという造語を作ったんです。
──アーティスト・ネームは?
TAXMAN:バンドを始めるに当たって、ステージ・ネームがあった方がカッコイイ。THE BAWDIESという名前でやって行くんだから、名前もガイジンっぽいのにしようよって(笑)。その時点では、さほど重要性も考えてなくて、それぞれ自分で考えて来るという事で、ササっと決めちゃったんですけど(笑)。
──そこから、ライヴ活動が始めたわけですか?
ROY:3年間を地下で過ごして、意気揚々と地上に出て来たんだけど、僕らは、高校時代、周りがみんなバンドを始めた頃に、バスケ部でバケスしかやってなかったから、ライヴのやり方がわからない(笑)。今度は、生で伝えていく事の難しさに直面して。第2の壁と言うか、それを慣らすのに1年半くらいかかりましたね。
──就職とか全く考えなかった?
TAXMAN:全く考えてなかったですね。ロックンロールをみんなに伝えるという使命感がものすごく強かったですから。
ROY:これだけ熱中できるものが見つかったんだから、こんな素晴らしい事はないと思ったし、一生をかけて、燃え尽きるまでやってみるのが正しいと思ったんです。僕らの人生だし。
──その時からずっと、“ルーツ・ミュージックに忠実に”という姿勢で?
ROY:とにかく、それだけこだわって、大切にして来たルーツ・ミュージックだったから、自分達の色を出して、メロディーが変わったり、ルーツ・ミュージック感が少しでも損なわれる事はしたくないって、ずっと思って来たんですよね。 |