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THE GOOD-BYE 25周年記念LIVE DVD
『Special Night 2008〜memorial 25th Good-Bye〜』 |
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デビュー25周年を記念してC.C. Lemonホールで決行された、一夜限りのスペシャルコンサート!2時間半を越えるライヴを全曲完全収録!!
[DVD]¥5,800(税込)
お問合せ:THE GOOD-BYE DVD事務局 03-5573-9122 |
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75年、中学校1年生で“リトルギャング”としてデビュー。ロックバンド“ANKH”を経て、83年、THE GOOD-BYEとして本格デビュー。ミュージシャン、俳優として長いキャリアを誇る“ヤッチン”こと曾我泰久。
2009年は、ロックと芝居が融合した注目の舞台“アポロ・ボーイズ”でスタートを切る。
──2009年は「アポロ・ボーイズ」でスタートですね。
曾我:初演(2006年公演)の「アポロ・ボーイズ」は、かつて80年代に人気を博していた“アポロボーイズ”というバンドが20年後に再結成するというお話だったのですが、今回はその続編というわけではなくて全く別のストーリー。役名もキャラクターも全く別物で、40代の男5人が、色んなことがありつつ“アポロボーイズ”というバンドを結成するというストーリー。ちょっとだけヒントを言うと、時代を超えてメンバーが出会う…タイムトリップものになります。
──“アポロ・ボーイズ”は、お芝居の中のバンドだったのに、2007年・2008年と2年続けて夏に40日間の全国ツアーを行っていますよね。
曾我:初演の時、もうホント、毎日のようにメンバー5人で飲んでて、とにかく楽しくてね、公演が終了しても、別れるのが名残惜しくなっちゃったんですよ。8日間の公演だったけど、オリジナル曲を6曲も作っていたし、このまま終わっちゃうのはもったいないから、芝居とは別にワンマン・ライヴができないかなっていう話になって。
「持ち歌6曲じゃ、ワンマンなんかできないよ」って(笑)。そしたら、みんな、ガンガン曲を書いてきて、偶然、スケジュールも全員一致で空いていて。そんなノリで始まったツアーだったんです。
──みなさん、本業の仕事があるのに、それとは別にバンド活動。会社員がみんなで一斉に有休とってライヴツアーに出ちゃった…そんな“オヤジバンド”のノリですね(笑)。
曾我:ホントにそういう感じかも。「アポロボーイズ」を見に来てくれた友人・知人はみんな口を揃えて「40過ぎて、どうしてそんなに楽しそうなの?」って言ってたけど、メンバー5人とも、仕事(本業)とは離れたところで、いい意味で無責任でいられるから、とにかく楽しかったし、それがバンドの持ち味にもなったんでしょうね。
周りからは「子どものように無邪気にやってるよね」って言われ続けてたので、だったら、小学生の頃、夏休みが40日間あって、そこで色んな経験して成長できたように、40代の僕らが今、夏休みの40日間を経たら、何を吸収できるんだろうって。それで、ホントに夏休み期間に40日ツアーをやってみることにしたんです。
──実際にやってみて、いかがでしたか?
曾我:まずはもう、“楽しかった”の一言ですね。ワゴン車を運転しながら、全国を回ったんですけど、2007年のツアーでは、ライヴハウスだけでなく、お祭りとか花火大会とか各地のイベントにも出させてもらったんですよ。そうすると、それまで僕らと全く接点のなかったお年寄りやお子さんもいるわけでしょう。最初は、どうなることかと心配したけど杞憂でした。みんな、足を止めて見てくれる。一緒に盛り上がってくれるんですよ。
──全然知らないバンドのステージなのに?
曾我:そうなんですよ。アポロボーイズは、ミュージシャンと役者の混合ユニットだから、ただ演奏するだけではなく、ちょっと芝居がかった部分もあるし、トークも含め、色々な仕掛けでお客様を楽しませることができますから。
曲に関しても、「1回聴いたら忘れない。1番を聴いたら、2番からは一緒に歌える」というのがモットーなんで、ホントに子ども達がすぐに一緒に歌ってくれて。
A・P・O・L・L・Oって、手でローマ字を作るフリもあるんですけど、そういうのもね、お爺ちゃん・お婆ちゃんまで一緒にやってくれてねぇ。ビックリしたし、うれしかったし、とにかく新鮮な感動でした。
──音楽に対する意識が変わった?
曾我:ものすごく変わりましたね。音楽というのは、作り手側である僕らの想像を遥かに超えて、すっごく大きな可能性を持っているんだと実感したし、まだまだ音楽の楽しみは伝わり切っていないんだなとも思いました。
バンドの演奏を生で見たことがないという方はまだまだたくさんいるんですよね。でも、そういう方々が、アポロボーイズを初めて見て、僕らのことを全く知らなくても、楽しんでくれた。“音楽業界”という括りだけで見てしまうと、CDが売れなくなってるとか、音楽産業は不振だとか言われてるけど、音楽やエンターテインメントを求めている人は、全国にたくさんいるんですよね、届いていないだけで。お祭りとか花火大会でライヴをやってホントに良かったと思ったのは、そういう事を肌で実感できたことです。
老若男女誰でもホントに楽しめるものを、きちんと提供していけば、純粋に音楽の楽しみを伝えることができるんだって、そういう自信がつきました。
──2008年はTHE GOOD-BYEとしての活動もありましたね。
曾我:デビュー25周年を迎えて、10月にC.C.Lemonホールで1日だけのスペシャル・ライヴを行いましたけど、今がいちばん楽しいですね、THE GOOD-BYEやってて。
ライヴでは、30曲やったんですよ。ヴォーカルが一人だと30曲は無理。これも、義男(野村義男)とツイン・ヴォーカルだから、できることなんだよなって改めて思いました。
──曾我さんにとって、THE GOOD-BYEとは?
曾我:20〜27歳という、いちばん多感で、何でも吸収できる年齢の時でしたから、THE GOOD-BYEでの全てのことが、僕の血となり肉となり骨となっています。THE GOOD-BYEがあったから、今の僕があると言えます。
──THE GOOD-BYE時代を振返っていかがですか?
曾我:とにかく忙しかったですね。当時は3ヶ月に1枚シングルを出すというローテーションがあり、更に年に2枚アルバムを作ってた時期もあった。もう、毎日、曲作りをするしかないんですよ。テレビとか取材とか色々な仕事が終わってから、僕ひとり毎晩ディレクターの家に行って曲作り。地方に行った時も、仕事が終わったらホテルに直行。一歩も外に出ないで、ルームサービスで食事して、その後は曲づくり。そんな毎日でした。
──THE GOOD-BYEのリーダーとしては?
曾我:任されているという自負がすごく強かったし、何とかしなくちゃと常に思っていたから、クソまじめで堅物の怒ってばかりのリーダーでしたねぇ(笑)。
当時は、僕、全くお酒が飲めなかったんですよ。だから、他のメンバーに「酒飲んでる暇があるんだったら、俺よりイイ曲書けよ」とか「俺より上手くなれよ」とか言ってましたからねぇ(笑)。俺はこんなに四六時中バンドのこと考えてるのにって、自分ひとりで空回りしてたんですよね。
デビュー20周年のときに13年ぶりにメンバーと再会したんですけど、「まぁ、酒でも飲みながら…」って言ったら、メンバーが「ええーっっ!」って(笑)。謝りましたメンバーに。「あの頃は、ホントごめん。きつい事ばっかり言って」って頭下げました。みんな「あの時、ヤッチンが頑張ってくれたから、今があるんだよ」って言ってくれましたけどね。みんなの方がずっと大人だったんですよね(笑)。 |