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世良公則が、ソロ初のシングル・ベスト『UNDER COVER 〜世良公則ソロシングルズ〜』をリリース。1982年のソロ・デビューからのシングル全14曲を、バンド“GUILD 9”と共にセルフカヴァー。50代を迎えますます渋みを増したヴォーカル。1つ1つの生音が大音量で響いてくる野太いサウンド。これぞ、大人の男のロックアルバム!
野村義男とのユニット“音屋吉右衛門”としての初のアルバム『UNDER COVER 〜タツノコソングス〜』も同時リリース。
──まずは『UNDER COVER』の企画をお聞きになったとき、率直にどんなことを?
世良:ソロになってからの作品は、いくつかのレーベルにまたがっていて、これまで1つの作品として網羅することが難しかったんですね。今回それが実現して、しかも、過去の作品を集めるだけでなく、今のバンドで再構築できる。これはとても良い機会だと率直に思いました。
──バンド“GUILD 9”が、かつての世良ナンバーを演奏する。音作りはどんな風に?
世良:ライヴ・セッションのようなレコーディングでした。アドリブのギター・ソロとかブレイクとか、ライヴならではの自由度というのがあるでしょう。そういうグルーヴ感のまま、スタジオでライヴをやったという感じですね。
事前の打合せは一切ナシでスタジオに入って、「イントロこんな感じで、僕はこう歌うから、ここでギター・ソロ。そこでキーボード入ってくれる?」と、そんな感じで始めて、個々が自由にプレイして、「今のいいね。じゃあ、この感じでいこう」って録ってしまう。3日間で14曲録ったんだけど、普通はそんなレコーディングできないよね。
──音数は少ないのに、ものすごく太い音で大音量。そして、一つ一つの音がクリアでハッキリしている…そんな印象を受けました。
世良:そうそう、1つ1つの音が出てくる感じでしょ?もうその通り。そのままマイクを立てて録っちゃうんだもん。そのプレイヤーの特色、その人の音がちゃんと出ている。
バンドのメンバーの顔が見える音でしょ?ライヴに来て頂いた時に、ホントにあの人が弾いてる、あの人が叩いてる、そういう音にしたかったんですよね。
──世良さんご自身もギターを弾いてらっしゃるんですよね?
世良:もちろん弾いてますよ。左が僕で、右が野村義男です(笑)。
──オリジナルと比べて、様々な反応があると思いますが?
音楽に限らず、例えば絵画にしても、聴く人、見る人によって、どこを気に入ろうが、どこを嫌おうが、それは自由でしょう。そして、同じ人でも、場所や時間軸が違ってくれば、また、別の感想を持つようになる。そうしたことを全て背負い込むのが「作品」だと思うんですね。だから、あの頃が良かったなと思う方は、その時間軸の中でその曲を大事にしてくれたらいいし、初めて聴く方は全くの新曲として聴いてもらえたらうれしいと思います。
──ところで、アルバム・タイトルの『UNDERCOVER』は、秘密裏にとか、諜報活動といった意味がありますが?
世良:まさしく、秘密裏に進められてきたプロジェクトだったんですよ(笑)。この企画を立てたプロデューサーがね、権利関係とか各方面の交渉事を、長い時間をかけて水面下で少しずつ解決しながら進めてくれていたプロジェクトだったんです。
──ホームページの世良さんのダイアリー。夏頃から、すっごく秘密めいてきましたよね。秘密の企画、秘密の企画って(笑)。
世良:とにかく、秘密だったからね(笑)。すべての条件が揃うまで、ホントに実現できるのかわからない部分もあったから。いまはみんなブログを持ってるから、知らないところから漏れたりするでしょう。だから、張本人の僕が、最初に「秘密の企画がある」と公言しちゃおうと思って。
──単純に、ストーンズのアルバム・タイトルを模したわけではなかったんですね?
世良:もちろん、敬愛するストーンズの作品にあやかって…という意味も含んでいるし、“カヴァー”というひっかけもあります。
でも、ストーンズから出発したわけではないのに、ストーンズのオフィシャル・カメラマンの有賀幹夫さんがジャケット写真を撮ってくださったり、マスタリング・エンジニアがストーンズゆかりの方だったり。着地してみたら、ストーンズの名前がこの作品の至る所に絡んでいて。これは不思議な縁ですよね。とても素敵な奇跡。クリスマスの奇跡だなぁと思います。
──やはり世良さんのロックの原点というと、ストーンズですか?
世良:もちろん、いちばんはストーンズですね。でも、ストーンズ一辺倒だったわけではなく、何でも聴きまくりましたよ。僕の中学・高校時代は、いわゆるロックの黄金期と言われる70年代に向けて、あらゆるミュージシャンが出てきた時期。レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、オーティス・レディング、The Who、イーグルス、グランド・ファンク・レイルロード、ジャニス・ジョプリン・・・ぜんぶ聴いてました。
──世良さんの“ロック少年”時代って?
世良:中学生の頃に深夜放送の「オールナイトニッポン」や「セイ!ヤング」が始まって、もうに夢中になって聴いてましたね。かかる音楽は和洋折中でね。美空ひばりさんに続いてストーンズ。そのあとが北島三郎さんだったり(笑)。
そういうラジオを聴きながら、♪アイ・キャン・ゲッノウ・・・??? ゲッノウって言ってる?とか、カタカナ英語で歌詞を聞き書きして。それを友達と照らし合わせたりしてね。たまに誰かがレコードを買うと、その頃はコピー機なんかないから、歌詞を書き写させてもらうんだけど、自分のカタカナ英語と全然違ってる(笑)。もう、空耳アワーの世界(笑)。
──日本ではグループサウンズが下火になってきて、フォークが台頭してきた時期ですね。そのあたりの影響はなかったんですか?
世良:もちろんありましたよ。フォーク派とロック派に分かれるんだよね。放課後の教室で、女の子に囲まれて、和気あいあいとアコギで合唱してるのがフォークの人達。学校の塀を乗り越えて、薄暗い倉庫でエレキ鳴らして近所から苦情が出て、生活指導の先生に怒られるのがロックの人達(笑)。
文化祭でも、フォークの人達は、ちゃんとステージで演奏できるんだけど、ロックは禁止。だから、「模擬店で喫茶店をやります」と申請しておいて、そこにこっそりアンプを持ち込んで、先生の巡回がない時を見計らってローリング・ストーンズをやったり(笑)。
──小さい頃は、ヴァイオリンを習ってらしたんですよね?
世良:たまたま隣の家のお兄ちゃんがヴァイオリンを習っていて、僕もやってみたいと思ったんだけど、物心ついた時から、音楽だったら何でも好きだったんですね。子守唄でもお遊戯の曲でも、学校で習う笛もハーモニカも。
クラシックもずっと好きで、ヴァイオリンも続けてましたけど、ロックと出会って、コード3つ覚えたら何でも弾けちゃうロックの自由度とかエネルギーとか、その波動が合ったんでしょうね。 |