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竹善さんインタビュー and more!!


竹善さんは、「うたまっぷ」のヘビーユーザーだった!

──竹善さんは、うたまっぷのヘビーユーザーだとか?

竹善:かなりのヘビーユーザーですねぇ(笑)。アメリカのリリックサーチ(洋楽の歌詞検索サイト)も含めて、よく歌詞を見るアーティストは、歌詞一覧がすぐに見られるようにブックマークしてますから。
──どんなときに利用されるのですか?
竹善:歌詞を書くときです。ずっと一人で書いていると、自分の言葉の癖というのが出てきてしまうんですね。そういう時に、頭をまっさらにするために、色々な方の歌詞を見るんですよ。だから、自分とは異なるジャンルの人が多いですね、BUMP OF CHICKENとかRADWIMPSとか。
もちろん、小田和正さん、松本隆さん、吉田美奈子さんとか、僕自身が影響を受けた方の詞もよく見てます。コブクロもよく見ますよ。

本名は「たけよし」さん。いつから「ちくぜん」さんに?

──ご本名は、「たけよし」さんなんですよね。どんな由来が?

「善」の字はね、曽祖父の代から続いているんですよ。父も祖父も「善」の字がつきます。「竹」は、竹のようにスクスク育つようにということで…。
──「ちくぜん」さんと呼ばれるようになったのは?
国語の先生とか、よく名前を音読みで呼んだりするでしょう。中学校1年のときに初めて「さとうちくぜん」と呼ばれて、教室中がドッと大笑いになって。
──最初は、先生の誤読だったんですか。
そうなんですよ。小学校までの友達は「佐藤」と呼びますけど、中学以降は、みんな「ちくぜん」って呼びますね。だから、もう「ちくぜん」と呼ばれる方が長いし、その方が馴染みがありますね。
──珍しいお名前ですよね?
料理屋は多いですけどね(笑)。料理屋は全国にいっぱいありますよ、「ちくぜん」「たけよし」どっちの読み方でも。僕のブログで“面白い写真”を募集しているんですけど、「“竹善”というお店がありました」って、看板の写真が全国からたくさん送られてきます。みなさんも「竹善」を見かけたら、是非、送ってください(笑)。

小学校6年生までは、演歌しか聴かない「演歌少年」だった!

──竹善さんの音楽の原点は?

竹善:僕はね、小学校6年生までは「演歌」にしか興味がなかったんですよ。親が演歌大好きだったので、ずーっと演歌ばっかり聴いてました。小学校5年生のときに、学級会で「女のみち」と「なみだの操」を歌ったら、先生に怪訝な顔をされました(笑)。
──ええっホントですか? では、演歌少年からの転機は?
中学1年生でビートルズを知ってからですね。それまでは、演歌のスタイルしか知らなかったから、歌というのは、スーツ着てマイク持って大きなバンドを従えて歌うものだと思ってた。それが、ビートルズを初めて聴いたとき、ハーモニカとギターとベースとドラムだけで、こんなにカッコイイ音楽ができるんだって。衝撃でしたね。
──そこからは洋楽志向に?

邦楽も洋楽も半々くらいです。とにかく、あらゆる音楽を聴きまくりました。 邦楽は、フォークからニューミュージックへの移行期ですね。NSP、かぐや姫、風に始まって、ブレイク前のオフコース、山下達郎さんとかね。 洋楽は、クイーン、イーグルス、ビージーズとか、いわゆるあの頃の音楽好き少年がたどる全てのアーティストですよね。ハードロックから何から聴きまくりました。

最初に手にした楽器は、通信販売で買ったベース!

──いつ頃から音楽活動を?

中学1年のときビートルズを知って、その半年後くらいにベースを買ったんですよ、通信販売で(笑)。それで、友達と2人でバンドを作るんです。友達がフォークギター、僕がベースで。
──竹善さんというとキーボディストの印象が強いですが、最初はベース?
高校生になってからフォークギターも始めましたけど、ずーっとベースだったんですよ。とフォークギターだけです。
当時のバンドはね、クイーンも、バッド・カンパニーも、Freeも、ギター・ドラム・ヴォーカルはもの凄いアクションなのに、ベースだけが黙々と弾いてる。それが、すっごくカッコ良かったんですよね。それで僕もベース!(笑)
ドラムなんか持ってるヤツいないですから中1で。だから、ギターとベースだけのバンド(笑)。NSPが大好きだったんですよ。NSPは、ギター2人とベースでしょ?その影響も大きいですね。

中1で初ライヴ! かぐや姫からディープ・パープルまで・・・?

──中1から活動してたんですか?

竹善:大学生が主催してるイベントに出させてもらったんですよ、中1のくせに(笑)。それが、生まれて初めてのライヴですね。
その時の選曲がね、今思うともう、めちゃくちゃなんですよ。「赤ちょうちん」(かぐや姫)、「ハートブレイカー」(グランド・ファンク・レイル・ロード)、「海風」(風)、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」(ディープ・パープル)の4曲。それを、たった2人でやりました。中1だったから、ジャンルという概念が全くなかったんですよね(笑)。
──そのあとも、ずっとバンドを?
中学時代は、その2人組バンドをずっとやってて、高校では軽音楽部に入ったので、そこでは、色んなバンドをやりましたよ。
大学に進学する頃は、既にプロ志向でした。それで、高校時代に同じ軽音楽部だった藤田千章を口説いて、SING LIKE TALKINGの原型となるバンドを作ったんですね。その頃は、ライヴよりも、作曲の方がメインになってきていました
──キーボードはいつ頃から?
僕は、鍵盤を始めたのはすっごく遅いんですよ。大学3年くらいのときですね。その頃、AORに出会って、AORの曲はキーボードで書かれてるでしょう。だから、ギターでは押さえ切れないんですよ。それで、シンセサイザーを買ったんです。でも、最初は、“ド”がどこかもわかりませんでした(笑)。


竹善さんのアディダス3本線時代???


──竹善さんは、SOFFetやbirdなどHIPHOP・クラブ系のアーティストともコラボしてますが、意外な顔合わせのような気がするんですけど…。

竹善:僕も藤田千章も大学時代は、ディスコに通いまくりましたからね〜(笑)。ソウル、ファンク、8ビートから、ハードロックまで、色んなジャンルのディスコがたくさんありましたけど、もう、何でも行きましたねぇ(笑)。
その後、HIPHOPが入ってきて。僕らはね、HIPHOPの第一世代なんですよ。HIPHOPの影響も大きく受けてます。Run-D.M.C.が初来日したのが86年ですけど、その頃は、僕らも上下アディダスのジャージで、スニーカーの紐を抜いて立ててましたからねぇ(笑)
──え、竹善さんも、三本線着てた?
竹善:着てましたよ〜(笑)。当時は、まだ、RAPもHIPHOPも市民権を得ていなかったし、なんでジャージ着てるの?という時代でしたけど、当初から興味があって、SING LIKE TALKINGの1stアルバム『TRY AND TRY AGAIN』には、デビュー曲「DANCIN' WITH YOUR LIES」のHIPHOPリミックスも入ってるんですよ。
その頃は、ロックとHIPHOPは相容れない、お互いに中指立ててた時代だったけど、僕はね、ゼッタイHIPHOPの時代が来ると思ってた。「ハードロックのバンドがHIPHOPのDJと一緒にやったり。そういう時代も来るかもよ」なんて言ってたんですよ。みんな「そんなのあり得ない」って言ってたけどね。
──それが、AORに繋がっていくんですか?
竹善:AORは、ソウルミュージックや初期のR&Bの要素は欠かせないんですね。だから、ダンス・シーンがディスコからクラブへと変わっていったという流れは、SING LIKE TALKINGの音楽の流れと密接に繋がってますね。AORは、そのサウンド自体にも興味がありましたけど、それ以上に、AORというスタンスに影響されました。ヘビーメタルもHIPHOPもクラシックもジャズも活かしていく。今では、ヘビーなサウンドの中にDJやラッパーがいるというスタイルも珍しくないですけど、その感覚とSING LIKE TALKINGのAOR感というのは全く同じなんですよ。

こらからも、いろいろ掘り起こしをしてほしい!

──これまでの竹善さんのカヴァーで、いちばん意外だったのは、「サヨナラ」(GAO)だったのですが…。

竹善:あの曲はね、誰もカヴァーした人がいなかったんですよ。どうして、こんなにイイ曲なのに忘れられちゃってるんだろうって。初めてラジオから流れてきたときに、ホントに素晴らしい曲だなって思ったんですね。サウンドは、正にバブル全盛期のキラキラ派手なサウンドなんです。だから、今聴くと、サウンドはちょっと古いんですよ。でも、メロディは普遍性を感じる素晴らしいメロディで、これをどうしても伝えていきたいと。
──これからも、こうした掘り起こしを続けていかれるんですよね?
いい歌は、まだまだたくさんありますからね。これからも、カヴァーをライフワークとしていきたいと思っています。

December 24, 2008
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「うたまっぷ」のヘビーユーザー 本名は「たけよし」さん 演歌しか聴かない「演歌少年」だった! 通信販売で買ったベース! 中1で初ライヴ! アディダス3本線時代??? 「うたまっぷ」のヘビーユーザー 本名は「たけよし」さん 演歌しか聴かない「演歌少年」だった! 通信販売で買ったベース! 中1で初ライヴ! アディダス3本線時代???