映画“プライド”主演を経て、大きく成長したステファニーが、2ndアルバム『Colors of my Voice』をリリース。
田中ロウマとのデュエット・ナンバー「Changin'」、映画“プライド”主題歌「Pride〜A Part of Me〜feat.SRM」、映画“ハイキック・ガール”主題歌「FUTURE」と、1stアルバム『ステファニー』以降のシングル曲を網羅。加えて、ケータイ小説“あたし彼女”インスパイア・ソング「言葉なんかいらないほどに」、mixiユーザーからのキーワード募集で生まれた「大好きなみんなへ。feat.fans」、新感覚♪ダンス・エディットPCツール“Dance × Mixer”バンドル曲「Forever」など、話題曲満載!
ステファニー自身が歌詞を手がけた全11曲。恋愛をテーマにした曲が増え、歌詞のテーマも急激に大人びてきたステファニーの素顔に迫るインタビュー。歌手を夢見て奮闘していたアメリカ時代のエピソードも必見です!
──いよいよ2ndアルバム『Colors of my Voices』がリリースとなりましたね。1曲目を飾る「言葉なんかいらないほどに」は、ケータイ小説“あたし彼女”のインスパイア・ソングとして、リリース前から話題を呼んでいますが。
ステファニー:ちょうど恋愛小説を読みたいと思っていた時期に“あたし彼女”を知って、読んでみたら、もうすっごく面白くて止まらなくなって、1日で読破しちゃったんです。恋する気持ちってこういう気持ち?って、ものすごく共感して。それで、作家のkikiさんにメールを出したんです。誰かに紹介していただいたとか、共通の知り合いがいたとかではなく、ほんとにいきなり“読みました”というメールを出したんですよ。そこから、交流が始まって、今回のコラボレーションにまで発展したんですけど。
──共感したというのは、主人公のアキに?
ステファニー:アキは、最初はホントに性格悪くて、イヤな女の子なんですけど、人を好きになって、どんどん変わっていく。恋は人をあそこまで変えてしまう。恋をするってホントに素敵な事だと思いました。
──そこから「言葉なんていらないほどに」が生まれ、小説の続編も?
ステファニー:そうなんです。私が“あたし彼女”を読んで感じた事を歌にして、そしたら、今度はkikiさんが「言葉なんかいらないほどに」を聴いて、続編となる“あたし彼女〜言葉なんかいらないほどに〜”を書いてくださったんです。“あたし彼女”を読んだ人には、ぜひ「言葉なんかいらないほどに」を聴いてほしいし、この曲を聴いたら、更に小説の続編も読んでほしい。“あたし彼女”の世界が、更に広がっていけば素敵だなと思います。
──1stアルバム『ステファニー』から1年3ヶ月。ご自身では、何か変化を感じますか?その間に、3作のシングルをリリースされていますが・・・。
ステファニー:「Changin'」は、アニメ“D-Gray man”の主題歌として作った曲ですが、その前のシングル「フレンズ」からかなり時間が経っていて、私自身、新たなスターティング・ポイントとして変わっていこうという時期でした。アニメ自体も、主人公に色々な変化があるんですけど、そこに自分自身を重ねて詞を書きました。
──田中ロウマさんとのデュエット・ナンバーですね。
ステファニー:ディズニーの映画に出てきそうなデュエットでしょう?(笑)。でも、ラヴソングではないんですよ。お互いがどう変わっていくかという歌なんですよね。PVは、お互いの故郷でもあるカリフォルニアで撮影したのですが、ルーツを辿ると言うか、自分自身を見直す事に繋がった1曲です。
──続いてのシングル「Pride〜A Part of Me〜」は、ステファニーさん自身が主演された映画“プライド”の主題歌でしたね。
ステファニー:“プライド”で私が演じた麻見史緒は、オペラ歌手を志している女の子なんですが、彼女にインスパイアされた所がたくさんあります。何がなんでもプロになりたい、プロになる!と思っている史緒と、歌手を夢見ていた頃の私自身とが重って。
──ライバル緑川萌役の満島ひかりさんとのデュエット・ナンバーですが。
ステファニー:反目し合う2人なのに、一緒に歌うと素晴らしい音楽が生まれる。ライバルでもあり同志でもある・・・そんな2人の気持ちになって詞を書きました。ヴォーカルの掛け合いもバトル・チックで、私は上から目線の役なので、ちょっとそういう感じで歌っています(笑)。“プライド”に出演できた事で、初心に帰り、歌う事の喜びを再確認できたように思います。
──続いて「FUTURE」は、映画“ハイキックガール”の主題歌ですが。
ステファニー:映画を事前に見させていただいて、武田梨奈ちゃんの熱いキックと前向きなストーリーから、私自身が元気を貰ったので、空手に限らず、何かに向かって頑張っている全ての人を応援する歌を書きたいなと思ったんですよね。
──ステファニーさん自身を投影した面もある?
ステファニー:私は、現実主義な所もあるので、♪たどり着くかだなんて保証はないけど〜というフレーズも入っているんですけど、でも、やっぱり、がんばるしかない。やるしかないんですよね。梨奈ちゃんも、この曲をすごく気に入って共感してくれたんですけど、何かを志すというのは、空手でも歌でも一緒なんだなって思いました。
──ステファニーさんの夢は“日本で歌手になる”事だったわけですが、なぜ、それほど日本にこだわったのでしょう?
ステファニー:私は生まれも育ちもアメリカのロサンジェルスなんですけど、小学校の頃から、夏休みになると、山口県の母の実家に滞在して、地元の学校に体験入学させてもらっていたんですね。2年に一度の習慣だったんですけど、もう、それが本当に楽しくて。給食とか掃除当番もアメリカにはないから面白いし、見た事のない植物や昆虫にワクワクしたり、そして何よりも日本の女の子のファッションが可愛くて大好きでした。アメリカは多民族国家だから、みんな、自分のアイデンティティーをハッキリ主張するんですよね。私は、○○系でこういう人種の血が入っているって。そういう中で、私はいつも、日本人である事を意識して誇りに思ってきました。日本は、私にとって憧れの地で、その日本に行って歌手になる。それが私の夢でした。宇多田ヒカルさんと浜崎あゆみさんに猛烈に憧れて、私もいつか、あんな風になりたいって。
──夢の実現に向けてはどんな事を?
ステファニー:14歳の時に、デモテープを作って日本に送ったんです。最初は、親にバレたら恥ずかしいから、コソコソと自室で録音してたんですけど見つかっちゃって。そしたら、両親の方がノリノリになっちゃって、父が“ミュージック・ビデオ風にした方がいい”と言い出して、家の庭で動画を撮ったんです。インタビューも入れたんですよ。ちゃんと日本語を喋れる事を証明しておいた方がいいんじゃないかと思って。今はもう封印したいほど、恥ずかしいんですけど(笑)。
──その時、歌ったのは?
ステファニー:浜崎あゆみさんの「SEASONS」です。CDに収録されているカラオケをバックに歌って、父がパソコンで編集してくれました。その映像を、日本のプロダクションやレコード会社に送りまくって。15社くらいに送ったんですけど、その中で、関心を持ってくださったのが、今のプロデューサーのジョー・リノイエさんだったんです。 |