佐々木希+イケメン20人の泣き顔PVで話題を呼んだ配信限定シングル「さよならはさよなら」に続き、待望の1st full album『Watercolor』をリリースするオトナモード。結成は2004年。インディーズでの活動を経て、2008年2月にメジャー・デビュー。目の前に風景が浮かんでくる色彩豊かな音世界が持ち味。そんなオトナモードの全曲を作詞・作曲しているのがヴォーカルの高橋啓太。結成のいきさつ、バンド名の由来、作詞・作曲の信条からサウンド作りのこだわりまで、たっぷりお話をお聞きしました!
──まずは、オトナモード結成のいきさつから聞かせてください。
高橋:高校を卒業して音楽の専門学校に進学したんですけど、その学校の中で、僕が“怖くなさそうな人”に1人ずつ声をかけていったんです(笑)。例えば、ドラムの小野田尚史の時は、一人で練習している部屋を覗いて、この人は優しそうだと思ったんで、コンコンコン!“あの〜、良かったらちょっと手伝ってもらえませんか?”って。ギターの伊原真一も、キーボードの山本健太も、そんな感じで声をかけて・・・。
──いきなり見ず知らずの人をバンド・メンバーに誘ったんですか?
高橋:最初は、僕のオリジナル曲を仕上げるのを手伝ってもらうという形だったんですけど。音楽の嗜好とか、どんな音を出すのかもよく知らないのに、気が合いそうというか、雰囲気だけで誘って(笑)。だけど、最初にみんなで演った時から、もの凄くイイ感じで。僕は、それまでバンドの経験は全くなかったんですけど、僕の曲をこんな風に色づけしてもらえるんだったら、もっともっと曲を作って、もっともっといろんな色を付けてもらいたいなって思ったんですよね。メンバーも僕の歌をものすごく良く理解してくれて。
──“優しそうな人”という嗅覚は正しかったんですね?
高橋:そうだったんですけど。でも、小野田はその後モヒカンになっちゃって。後から入ったベースの林陽介は、アフロ&ベルボトムで“俺のことはトマソンと呼んでくれ”とか言ってるし。オトナモードのライヴに行くと、モヒカンのドラムとアフロ&ベルボトムのベースがいる。え、パンク・バンドなの?でも、前の3人はフツーだしって(笑)。ファッションがめちゃくちゃで、そっちばっかり気になって音楽聴けないっていうお客さんがたくさんいて(笑)。
──オトナモードというバンド名は、どんな風に?
高橋:僕がつけたんですけど、バンド結成時は、ちょうど18〜19歳の頃で、子供にも大人にも属さない、その真ん中にいる感じがしてて、行きたい場所も見えないのにどんどん時間だけが過ぎていくというような感覚もあって、そのどっちつかずな中途半端さがいいなって。それで、大人の皮を被った・・・というようなニュアンスで“オトナモード”とつけたんですけど。実はメンバーは全員反対だったらしいんです。でも、その頃はまだ、知り合ったばっかりで全員が敬語で喋ってるような時期だったから“オトナモード?あ、良いと思いますよ”って(笑)。みんな、とりあえずの暫定的な名前だと思ってたみたいなんですけど(笑)。
──オトナモード結成以前は、どんな音楽活動を?
高橋:高校に入った頃がちょうど路上ブームの全盛期だったんですよね。ギターを弾ける友達が“駅前で路上ライヴをやりたいんだけど一人じゃ恥ずかしいから付き合ってくれ”って。それで3人で始めたんですけど、僕ともう一人は何も楽器ができなかったから、横でタンバリンとか叩きながら、これでいいわけ〜?って。そこが出発点ですね(笑)。
──いきなり、路上デビュー?
高橋:出身は栃木県の足利市なんですけど、駅前と言ってもほとんど人通りもなくて(笑)。誰かに聴かせるために歌うというより、部屋で遊ぶんだったら、気持ちいい空の下で歌おうよっていう感覚に近かったですね。
──どんな曲を?
高橋:ゆず、スピッツ、Mr.Children、オフコース・・・みんなが好きな曲を手当たり次第に片っ端から。
──そこで初めてギターを?
高橋: 最初は全く弾けなかったんですけど、本当に高校の3年間、毎日そこにいたんですよ。放課後は、駅前直行で、ずーっと歌って過ごしてたんで。3年の間に弾けるようになりました(笑)。
──なんだか部活動みたいですね。
高橋:ほんとに部活みたいでした。他校の友達もどんどん増えて、そこに行くと仲間がいて、みんなでワイワイ楽しめる場があって、音楽がその輪をどんどん大きくしていっている。それが楽しくて毎日通っていたんだと思いますね。
──プロ志向が生まれたのは?
高橋:高校卒業間近になって、全国区のコンテストで優勝したんです。2人組のユニットで、初めて自分で曲を作って応募したんですけど。それ以前から、高校卒業後は東京に出て音楽をやりたいという気持ちはあったんですけど、親からは“なにバカなことを言ってるの!”と言われ続けてたんですよ。でも、コンテストで勝ち抜いていく間に、親も認めてくれて。重要なキッカケとなったのはそのコンテストですね。
──それで、音楽の道を究めようと?
高橋:究めると言うよりは、とにかく音楽を続けたかった。何が何でもプロになりたいという感覚は全くなくて、音楽を通してコミュニケーションを図りたい、音楽で周囲の人を喜ばせたい・・・そういう熱意だけは強かったですけど。
──メジャー・デビューに際しては?
高橋:インディーズでの活動を通して、ツアーを重ねて、色々な方と出会う中で、やっぱり、音楽ってみんなでやったら楽しくて、みんなで繋げていくものだなって、改めて実感したんですよね。ライヴをやりながら、この会場にいる人みんなに喜んでほしいという欲求がどんどん高まっていって。少しずつ蕾が開いていくような感触がありました。そこから、もっともっとたくさんの人とコミュニケートしたいって思うようになったんですよね。だから、メジャー・デビューというのは、人と出会うキッカケが広がるものという意味で決意した感じです。
──いよいよメジャー移籍第1弾 1st full album『Watercolor』がリリースとなりますが。
高橋:僕らが憧れている、理想としている音楽は、目の前にシチュエーションが浮かぶ、色や風景が飛び込んでくるような音楽なんです。『Watercolor』というのは水彩絵の具の事なんですけど、このコンセプトはデビュー時からずっと続いていて、3作のシングルで、白い絵の具、青い絵の具、緑の絵の具をテーマとしてきたんですけど、メジャー・デビューから今日までの歩みを、全12色揃った水彩絵の具『Watercolor』として表現したいと思ったんですよね。 |