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小6で路上ライヴ、中学からライヴハウス出演。破壊的で刹那的。“激情ちゃん”の異名をとる、21歳の激情シンガーソングライター!
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『共鳴』
共鳴 / シギ

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アルバム
Epic Records
ESCL-3131
発売:2008.11.12
\1,529(税込)
収 録 曲
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01.証明
02.思いのまま
03.白い闇
04.ハナレバナレ
05.僕の太陽
06.証明(弾語りバージョン)
デビューシングル
「証明」
共鳴 / シギ

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シングル
Epic Records
ESCL-3077
発売:2008.07.02
\1,020(税込)
収 録 曲
コメントもどんどん投稿しちゃおう!
01.証明
02.愛の輪郭
オフィシャルホームページはこちら!
今年7月、映画“カメレオン”(主演:藤原竜也)主題歌「証明」でデビュー。“激情ちゃん”の異名をとる独特のヴォーカルで鮮烈な印象を放ったシギが、早くも1stミニアルバム『共鳴』をリリース。一見すると、ミニスカートがよく似合う、いかにもイマドキの女子大生。いったい、この小柄な女の子のどこに、あれだけの激情が潜んでいるのだろうか。

──まずは、シギさんが音楽を始めようと思ったキッカケは?
小学校5年生のときに、ギターを買ってもらったのがキッカケです。お母さんと買い物に行ったとき、たまたま、3,000円でクラシックギターを売っていて、すっごく安いから、“ママ、あれ買ってー”と言ってみたら、買ってもらえちゃって(笑)。
特にギターに興味があったわけじゃないんだけど、買ってもらったので、じゃあ、弾かなくちゃと思って、自分で教則本を買ってきてコードを覚えるところから始めました。当然ながら“F”で挫折して、すぐにやめちゃったんだけど、数ヶ月経ってもう1回弾いてみたら“F”も弾けるようになってて。それじゃあ、曲を作ってみようと。それが始まりです。

シギ

──小6で路上ライヴを始めたんですよね?
今思うと、ホントになんで行ったのかなーという感じなんですけどね(笑)。たまに、駅前で弾き語りをしている人がいたんです。それで、暇だし、やることないし、曲も出来たし、私もやってみるかと思って。“じゃあ、ママ行ってくるよー”っていう感じでした(笑)。初めて歌った自作曲は「道しるべ」というタイトルで、なんかマセた曲でした。

──そのときから“シギ”という名前で?
そうです。初めて路上に出ようと思った時に、名前がほしいと思ったんです。お姉ちゃんに相談したら、“シギという名の幸せを運ぶ鳥がいる”と教えてくれて、いいなと思って“シギ”と名乗るようになったんですけど。最初はホントに軽い気持ちで使い始めたんですけどね。

──中学・高校時代はどんな音楽活動を?
中1の時に、10代限定のコンテストがあって、それに応募したんです。マイクを通して初めて歌ったのが、その時。地区大会で優勝して、関東大会に出場したんですけど、その会場がZEPP TOKYOだったんです。人生2回目のライヴがZEPP TOKYO!広いし、大音量だし、しかも、お客さんが手拍子なんかもしてくれて、それまでに経験したことがない高揚感だったんです。それがステージの原点ですね。ライブハウスに出るようになったのは、そのあと。中学1年から、ずーっとライヴを続けてきました。

──デビューのきっかけは?
高校生の時、ライヴハウスで共演してた人が地元のラジオ局でレギュラー番組を持っていて、“ラジオに出てみない?”と誘われて、行ってみたらそれが、勝ち抜きバトルだったんです。それで、出場したら4週勝ち抜いてちゃって、優勝したんです。そのときの色々な出会いが、後々のデビューにつながったんですが…。
──元々、プロ志向だったんでしょう?
全く興味がなかったわけではないですけど、強い意志があったわけでもなく、デビューできたらラッキーくらいの軽い気持ちでした。

──小6で路上ライヴを始めたくらいだから、小さい頃から何が何でもシンガーになるという強い決意があって、それが、シギさんの歌の激情ぶりにも表れているのだと思っていたのですが…。
シギ うーん、それは、なぜ歌を歌ってきたのかということになると思うんですけど。私は、小学生の頃から、いつも自分の考えは不正解なんだって思っていて。だから、自分の意見を言うのはやめようって思って、心の中だけで自分と会話していたんです。親もいるし、友達もいて、たくさん話はするんだけど、表面的なことばかりで、自分の思想的な部分とか、考えていることは外に出さないできたんです。
音楽と出会ってからも、自分の考えをそのまま詞にしてきたわけではないんですけど、自分をさらけ出せる場所が他にあったかと言うと、音楽以外には何処にもなかった。
だから、ライヴも楽しさよりも苦しさの方が強かったんですけど、音楽を続けた先には必ず何かあるはずだから、それに向かって今は耐えて音楽と歩かなきゃいけないんだっていう、そんな使命感を自分に植えつけて、ずっとライヴをやってきたんです。

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October 22, 2008
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