伸治、卓それぞれが作詞・作曲をこなし、リード・ヴォーカルをとる注目のデュオ“遊吟”。
08年1月、“あいのり”主題歌となったシングル「Fate」とアルバム『Days』同時リリースでデビュー。ハリウッド映画“スパイダーウィックの謎”イメージソング「チェックメイト」を経て、リリースされた第3弾シングルは、インディーズ時代の幻の名曲「あの日の2人のように」のニュー・ヴァージョン。
誰もが実感できるリアルな歌を持ち味とする2人だが、ニュー・シングルの3曲は、それぞれどんな想いから生まれた歌なのだろうか。
──まずは、それぞれが音楽を始めたキッカケから教えていただけますか?
伸治:僕達は島根県松江市の出身なんですが、島根県って、色んな方の全国ツアーでも飛ばされちゃう県なんですよ(笑)。だから、ずっと、生のライヴを観たことがなかったんですが、中1〜2の頃、島根で一番大きいお祭“水郷祭”のイベントに、ある大物アーティストが出演された。それが生まれて初めてのライヴ体験で、とにかく、ものすごいパワーで、音楽ってすごいな〜、カッコいいな〜と思ったのがキッカケです。父が若い頃に弾いていたギターを押入れの中から引っ張り出してきて、自分で弦を買ってきて張り替えて。最初は、歌謡曲中心の「うた本」でコードを覚えました。それが、始まりです。
卓:僕は、その頃、すでに松江駅近くの路上ライヴをよく観に行っていて、まだ、小学生だったんですけど、カッコいいな〜、僕もやってみたいな〜と思うようになっていました。
伸治:2人でやり始めたのは、特別なキッカケというのはないですねぇ。いちばん近くにいたから、自然の流れで…。
卓:若干、僕がムリヤリ連れて行かれた感じですね(笑)。ある日、突然、いきなり、伸治に松江駅に連れて行かれて歌わされた(笑)。
伸治:僕が高1で、
卓:僕が小6の時です。
──小学生で、路上ライヴを? 2人でギターを弾いて?
卓:僕はまだギターを弾けなかったから、伸治がギターを弾いて、僕が歌いました。
伸治:路上ライブと言っても、そんな本格的なものじゃないんですよ。松江で音楽をやってる人は、松江駅の周辺がたまり場になっていて、みんなそこで練習してるんです。そういう場所に2人で行ってみて、まずは、人通りがない時に小声で歌い出して…(笑)。
卓:人が来ると、恥ずかしいからやめちゃって…。
伸治:松江の路上ライヴは、“こんにちは〜遊吟で〜す”とか名乗ることもしないし、練習と本番の区別もなくて、僕らが歌ってると、それを遠くで聴いている人がいる…そんな感じが、1年くらい続きましたね。
卓:活動が本格化したのは、05年頃、僕が高校を卒業した頃からですね。1日おきにライヴをやるようになったんです。路上だけじゃなくて、お店に頼んでインストアライヴをやらせてもらったり、老人ホームの慰問なども。それを続けているうちに、だんだん“遊吟”を覚えてもらえるようになって、ストリートでも人が集まるようになりました。
伸治:それで、その年の6月に、自主制作CDを作って。ライヴの時に持参して手売りしたり地元のCD店に置かせてもらったり。松江市を中心に、活動を続けていました。
──東京進出のキッカケは?
伸治:たまたま山口県の宇部市でイベントがあって、島根代表として呼んでもらったんですよね。それがコンテスト形式のイベントだった。
卓:僕ら、コンテストだっていうのは全然知らなくて…。
伸治:でも、グランプリとったら賞金が出るぞっていうので、俄然、張り切って…(笑)。
卓:それで、グランプリとって大喜びしてたんです(笑)。そしたら、その時の審査委員の中に、今の事務所の社長がいて、上京しないかと誘われて…。でも、僕らは、地元に根ざした活動をしたいと思っていたので、最初はお断りしたんです。
伸治:その一方で、島根だけで終わるんじゃなくて、全国の人に僕らの歌を聴いてもらいたいという思いもあって…。
卓:事務所の人も、ちょくちょく島根に帰してくれるって言うし(笑)。
伸治:だったら、思いきって東京に行ってみよう、と。
卓:上京して今年で3年目なんですけど、初めて東京に来たときは、ここは日本じゃないと思いました(笑)。
伸治:それまで僕らが暮らしてきた環境とは、ホントにかけ離れていて、大丈夫かな、生きていけるかなって(笑)。
──卓さんが「あの日の2人のように」を作ったのは、その頃?
卓:18〜19歳の頃、上京する前後に作った曲ですね。高校時代に付き合っていた女の子との実体験が元になってる歌で…。島根でも東京でも、路上でずっと歌っていた曲です。
伸治:07年に一度、CD化したのですが、今ではもう手に入らないので、もう一度CD化してほしいというファンの方が多くて。
卓:誰でも自分のことのように受け取れる歌なんだと思うんです。みんな、そこに共感してくれたのかなって。誰でも、最初に“好き”と感じた瞬間があったわけでしょう。でも僕は、それを忘れてしまって、彼女を傷つけてしまったので、みんなには、“あの日”の気持ちを忘れないようにしてほしいな、という思いもあります。
伸治:今でも、路上ではギターで歌っているのですが、CDの方は初回のアレンジとは大きく変わりましたね。
卓:最初にCD化した頃は、まだちょっと傷が癒えない痛々しい“あの日”だったんです(笑)。でも、あれから数年経って、今は、あんなこともあったな、と思い出として振り返れるようになった。生々しかった記憶が、セピア色の思い出に変わった…その変化も表現したくて、今回は、ピアノやストリングスを入れたノスタルジックなアレンジにしました。
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